yuichibow’s blog

ジェット旅客機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊パイロット日記 2/26

定年まで15年を切り、引退までの貯金に余念がない操縦士の、裕坊といいます。こんにちは。

3日間の連休をいただいて、今日水曜日はお休み3日目。デトロイト地方は、夜中から雪………

 

午前中の積雪自体は、それほどでもなかったのですが、交通事情を考慮して昨日のうちからほぼ全域に渡って、学校は休校が発表になっていて……

愛妻ちゃんも息子くんも、今日は1日ずっとお休み…… 息子くんは声がガラガラの状態。ちょうどいい休養になったかも……

愛妻ちゃんも、次の週末は予定が詰まっているとあって、ちょうどいい休養になりました。

 

裕坊も明日木曜日からは、怒濤の7日連続するフライトへとお出かけ………そのうち、後半の4日間は裕坊自身が休日を返上して入れたものではあるのですが………

連続する168時間のうち、どこかで30時間連続の休養が必要となる規定がある、アメリカの航空法の網目を縫うようなスケジュール。定年まで裕坊は、残り14年と3ヶ月。まだまだ引退資金は到底十分とは言えませんので、体が動くうちは頑張ります…………

 

7日間続くフライトのうちの6日目は、メイン州ポートランドにて、担当便が1便も入らない丸々1日の宿泊滞在………

歴史ある煉瓦建ての建物が、海の近くに立ち並び、

 

ロブスターなどの海鮮物が美味しいことでも知られる、メイン州ポートランド………

実はエンデバー航空の前身であるピナクル航空時代から、ポートランドにはもう何度も何度も宿泊滞在で訪れているのですが……………

 

ダウンタウンを訪れたことが、まだ一度たりともございません……………

木曜日当日の、ポートランドの最高気温、8度の予報………

コートを着て、身を固めていれば、外を歩けない気温ではない……

ただ、その翌日のフライトが、超早朝というのが気になる………………

 

7日目のショーアップ…………

 

 

午前4時31分………………………

 

 

デトロイト行き出発定時時刻………午前5時16分………………

それでいて、そんなフライトに限って満席だったり……………

 

余力があれば…………

散策してみたいと思います………………

 

 

ところで、昨日裕坊が更新したブログの中で、トランスステイツ航空という名の、アメリカのリージョナル航空会社のことを、取り上げました。エンブラエル145型機という、50人乗り仕様のリージョナルジェット機を使用する航空会社。契約先はユナイテッド航空

ここ最近パイロット不足が顕著で、残念ながら今年いっぱいで運航停止が決まりました………

 

そのトランスステイツ航空の親会社であるトランスステイツ・ホールディングスは、3社のリージョナル航空会社を抱えていて、契約先だったユナイテッド航空との協議の結果、トランスステイツ航空部門の閉鎖を決定。同じくユナイテッド航空との契約がある、トランスステーツ・ホールディングス傘下のゴージェット航空に、ユナイテッド航空との契約を集約することになったようです。

 

そのゴージェット航空の現在の主力は、CRJシリーズのCRJ−550型機。

これ、実はCRJシリーズの700型機(69名仕様)の改造型。

 

こちらが、CRJ−700型機。76名仕様の900型機とは、主翼上の非常口の数が違うのですぐ見分けがつきます。

700型機は1つなのに対し、

 

900型機は2つ。

ではゴージェット航空用に、CRJ−700型機をどのように改造したのか、

 

というと…………

座席の配置、内装を少し変えることによって、50名仕様にしてしまいました……

 

ファーストクラスが10席で、残り40席がエコノミークラス。

700型機は、50名仕様のCRJ−200型機に比べて天井が高く、開放感があるのが特徴(それでも大型国際線機材に比べれば、狭いことには変わりませんが……)

 

550型機では、その700型機から座席を20席ほど取り外して、 ファーストクラス利用の乗客専用のミニラウンジを設けたり、新しい荷物置き場などを新設することによって、

さらに開放感ある機内を実現したらしいです。

 

元々需要が限られる小都市へのフライトを中心に就航している50人乗り仕様のCRJ−200型機は、全席エコノミークラス。それが同じ50人乗り仕様でファーストクラスのサービスが受けられるようになり、ビジネス客を中心に、まずまず好評なのだとか……

機体は、全く別の航空会社の保有で、リースによる借り受けになるのだそうですが、まずまず好評だということで、

 

機体がさらに20機増やすことが決まったそうです。

市場競争が激しくなっている現在のリージョナル航空界にあって、かなり埋没した感があったトランスステイツ・ホールディングスの各社でしたが、活路が見出せて本当によかったです。

 

 

新しいリージョナルジェット機といえば、日本人であれば気になってしまうのは、三菱が開発に努力と投資を惜しまないスペースジェット機(旧三菱リージョナルジェットMRJ)。

プラット・アンド・ホイットニー社が開発する、スペースジェット向け次世代エンジンを搭載して、型式証明取得用に製造された機体に取り付けられ、初飛行に成功したそうです。

 

日本の将来にも恐らく大きな影響を与えるであろう、この新しい旅客機開発プログラム。

立ち上げから10年以上の歳月がかかってしまいましたが、是非とも型式証明取得まで、何とか粘り強く続けていただきたいです。

 

 

夕方になっても、シンシンと降り続いた、デトロイト地方の雪……

思った以上の積雪で、15センチほど積もっておりました。

 

息子くんは、毎朝暗いうちには出かけていきますので、

雪かきをするなら、夜のうち。お父さん、頑張りました……………

 

 

明日から怒濤の、7日連続のフライトです。

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2/25

旅客航空会社の下請け版、リージョナル航空会社に勤める、裕坊と申します。こんにちは。

先週は火曜日から6日間連続のフライトをこなし、月曜日からちょっと連休をいただいている裕坊。

 

その月曜日は息子くんの検査の日。週末は音楽会に急遽出ることになったりして、その間睡眠のパターンを崩していたのか、声はガラガラ……

急な音楽会が入ったりなどで、宿題もかなり後手後手になっていたようですが、親が言うのもなんですが、まぁよう頑張っとる……

 

ミシガン州、特にデトロイト近郊は日本人の数も多く、病院も日本人の先生だったり、日本人通訳の方がいらっしゃったり……

息子くんが幼少の頃から、本当にここのクリニックにはよくお世話になっています……血圧などを測定し終わって、主治医の先生を待っている間に、何気にインターネットを見ていたら………

 

アメリカのリージョナル航空会社に、ちょっとした動きが………

トランスステイツ航空という名のリージョナル航空会社の、今年いっぱいでの運航停止の発表…………

 

リージョナル航空会社とは、大手航空会社本体の機体では座席供給数が過剰になる路線に、小型機を投入することで路線の補完をする役割を担う、下請けの航空会社のこと。日本ですと、日本航空向けのフライトを賄う日本エアコミューターのような存在だと思っていただけると、分かりやすいでしょうか。

 

米国内のリージョナル航空会社は、多発同時テロ(9・11)、リーマンショックによる世界不況などの影響をモロに受け、長年劣悪な条件での運航を余儀なくされてきました。パイロットを夢見ていた人たちも、劣悪な労働条件の実態を知って、パイロットへの夢を躊躇するようになります。パイロットへのなり手が一時は激減。その余波がここに来て業界全体を直撃するようになり、リージョナルの世界では、どこもパイロットがやや不足がち………

 

そんな背景がありますから、リージョナル航空会社は、裕坊が就職した頃と比較すると、当時では考えられなかったほど門戸が広げられるようになっています。会社によっては、外国人に就業ビザ(H1−B)のサポートをするところまで……… 当然旅客航空業界への就職を目指すパイロットたちにとってみても、より条件がいいところを選べるようになりました。

 

セールスポイントが少なかったトランスステイツ航空は、最近ではリージョナル航空業界の中では、やや埋もれた存在になっていて……社内で発表になった文書も、人材の不足が顕著になっていることが、ハッキリと記されていたそうです。残念な結果となりました……

 

元々トランスステイツ航空は、リゾート・エアとして立ち上げられ、その後すぐトランスワールド航空の補完的役割をするトランスワールド・エクスプレスとして、ミズーリ州セントルイスを中心に、中西部の中小都市を補完する役目を担ったそうです。

 

ただ残念なことに、大きな契約先であったトランスワールド航空は、3度の破綻を経験するなど、経営は不安定。

1992年、1995年と立て続けに、連邦裁判所に連邦破産法11条(日本での民事再生法に相当)を申請。2001年には3度目の破産法を申請するに至り、最終的には管財人の役目を果たしたアメリカン航空に全て吸収されるに至って、トランスワールド航空は完全に消滅。

 

アメリカン航空は、その後トランスワールド航空が保有していた、主要基幹空港の大幅縮小整理を断行することになり、トランスワールド・エクスプレスの運航の主要空港として機能していたセントルイス空港も、その縮小整理の対象になります。

 

主要契約先であったトランスワールド航空の不安定ぶりを見るにつけ、トランスワールド・エクスプレス航空は、生き残りをかけて、既に対策を講じていました。1989年には現在のトランスステイツ航空と社名を変え、1989年にはUSエアウェイズ(現在のアメリカン航空)との業務提携を取り付けたり、

 

1995年にはユナイテッド航空との業務契約も締結。

 

USエアウェイズアメリカン航空との合併後は、アメリカン航空の補完的な役割を担った時期もありました。

ただリージョナル航空会社の経営は、2000年代はどこもかなり逼迫。

 

各大手航空会社は、一定規模の運航数を、最小コストで運航できるリージョナル航空会社を募るようになります。

英語でRace to the Bottom、日本語で言う最劣悪労働条件への争いの火蓋が切られ、アメリカ政府が定める貧困層にも相当するお給料しか確保できないパイロットが続出する事態になり、パイロットを目指す若い人たちの足が、一時はかなり遠のく事態になりました………

 

それが顕在化したのが2010年代に入ってから。リージョナル航空会社のパイロット不足が顕著になり、リージョナル各社はパイロットを集めるための様々な手立てを企てます。我がエンデバー航空では大幅昇給。他でも会社によっては、給料はやや抑えつつも、大手航空会社への就職を約束したりするなど、あの手この手を駆使して、大々的にパイロットを募集。採用時のボーナスを供給したり、紹介状を書いた社員にボーナスを支給したりなど、手段も様々………

 

そんな中にあって、トランスステイツ航空は、経営母体となったトランスステイツ・ホールディングスが、一社別の航空会社を立ち上げていたり(2004年創設のゴージェット航空)、

 

デルタ航空から、かつてノースウエスト航空の傘下として運航されていた航空会社を買収したり(コンパス航空)、

経営的な余裕がなかったトランスステイツ航空は、パイロットを惹きつける条件を引き出せず、最近ではリージョナル航空界にあって、完全に埋没した存在になっていました………

 

現在では、トランスステイツ航空の契約先は、ユナイテッド航空だけになっていて、協議の結果、ゴージェット航空に運航を集約させる形になり、トランスステイツ航空の運航は今年いっぱいにて終了、という結論に至ったようです。大変残念な結果となってしまいました。

 

 

航空会社とは、景気の影響を真っ先に受けやすく、大手、リージョナルを問わず、何が起こるか分からない世界。裕坊が幼少の頃は、アメリカのフラッグシップキャリアとしての栄華を謳歌したパン・アメリカン航空ですら、吹き飛んでしまうことがあるという世界。その思いを痛感させられた1日でした。裕坊にとっても、他人事ではありません……

 

 

3連休最後となる水曜日は、深夜から雪の予報。デトロイト地区の学校は、既に軒並み休校になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2/24

米国航空会社、小型機専門の運転士、裕坊と申します。こんにちは。

先週は、火曜日から6日連続でのフライトで、日曜日が最終日。昨日は日帰りでのフライトでした。 どんより雲りの日が多い、冬の真っ只中の2月だというのに、

 

季節外れの快晴が何日も続いて……

昨日日曜日の早朝の出発の時も、地平線の向こうからは、眩しいばかりの日の出……

 

3本のフライトに乗りながらも、担当したのはシンシナティからニューヨーク・ケネディ空港への1便だけでした……

ニューヨークも晴れのお天気…

 

6日連続でしたので、さすがに体力をちょっと消耗して……

ニューヨークからデトロイトへと帰る便では、座った瞬間から夢の世界へ……

 

気づいた時には、デトロイトの夜景を見ながら、飛行機は着陸態勢に入っておりました……

そのミシガン州デトロイト、すぐ近郊には最近ちょっと写真でも取り上げられた、貨物専用の航空会社があり………

 

実はそれが、先日武漢に足止めになっていたアメリカ人200名をチャーター便で運んだ、カリッタ航空。

現在では、日本航空の貨物部門との提携がありますので、日本の主要空港でも時々見かけることができるのではないでしょうか。

 

カリッタ航空の本社は、旅客便が多く発着するデトロイト・メトロポリタン空港から北西におよそ20分ほどの距離にある、ウィローラン空港。イプシランティというイースタンミシガン大学で知られる町にあります。

実を言うと、ウィローラン空港へは、裕坊の家からも車で真南に約20分ほどの至近距離……

 

ただカリッタ航空の中西部における運航の中心になっているのは、ケンタッキー州の最北端に位置するシンシナティ空港。ニューヨークのケネディ空港も運航の中心になっていますので、よく見かけることができます。ところがデトロイトに近くに本社がありながら、本拠とするウィローラン空港は、滑走路が1番長いものでも2,200メートルほどしかありませんので、カリッタ航空の主力であるボーイング747型機は発着するには滑走路が短すぎて、デトロイト周辺でカリッタ航空の主力の大型貨物機を見ることは、ほとんどありません………

 

不思議やな〜〜……………

 

ただカリッタ航空は、ボーイング727型機のように、ちょっと小型の貨物機を使ってのカリッタ・チャーターという別の部門があり、

そちらは割に頻繁に、本拠であるウィローラン空港を行き来しているようです。

 

そのカリッタ航空を立ち上げたのは、コンラッド「コーニー」カリッタ氏。航空無線で使用されるカリッタ航空の航空符号は、カリッタ氏のあだ名を取って「コーニー」……

元々はドラッグレーサーだったという、異色の経歴の持ち主……

 

全米ホットロッド協会(NHRA: National Hot Rod Association)が主催するドラッグレースを中心に、10回のレース優勝を誇る腕の持ち主でもあるそうです。

1992年には、モータースポーツの殿堂入りまで果たしてしまいました………

 

そんな人が、航空会社を立ち上げて、貨物航空会社の経営の中心に………

 

 

不思議な人やな〜〜……………………

 

 

運航の中心は、ボーイング747型機。例外なく旅客機で使われていたジャンボ機の改造型。

 

ですので、機体によっては間近で見ると窓枠の跡を見ることができるものも………

貨物機は、人の乗り降りは旅客機に比べると極端に少ないですから、旅客ターミナルから伸びているボーディングブリッジのようなものを使うことはほとんどなく、大抵の場合乗り降りは螺旋状の階段を使います。

 

塗装は、大きくカリッタ航空の文字が入っているものがほとんどですが、中には主要貨物会社との提携に使用されている機材もあり……

そんな時には、貨物会社のロゴが入った機体を見かけることができることもあります……

 

大きな荷物やコンテナを出し入れしやすくするために、機首が跳ね上げ式になっていたり……

旅客機ではまず見かけることがない特徴も併せ持っています。

 

機体の中は、装飾などの類は一切なし……

コンテナをしっかりと止めるレールが敷かれていて、内壁なども剥き出しのままの無機質な機内………

 

このレールは、貨物を固定するのに重要な役目を果たします。

これが機能しないと、離陸上昇時に貨物が機体の後方へとずれて重量バランスが崩れ、過去にも大事故の原因になったことがありました。(2013年4月29日にアフガニスタンで起きた、ナショナル貨物航空の墜落事故などがその一例)

 

貨物機は、軍の兵隊の移動に利用されることも多く、そんな時は機体の両端に横向きに座席が配置されます。

 

多くの兵隊を移動させるときは、簡易用の座席をレールに固定して、ほとんど旅客機と同じような座席配置にすることも。

それでも機内は、機械類や配線類が剥き出しになったままで、快適な移動には程遠いのが実情……

 

同じ貨物中心の航空会社でも、中には旅客使用の機体を保有している会社もあります。その代表格といえば、アトラス航空。

主力は、機体にほとんど窓がない一目で貨物専用機と分かるものがほとんどですが、

 

兵隊移動のチャーター便を中心に使用される、旅客機仕様のボーイング747型機も機保有しています。

 

ですが、今回の武漢からの移動には、 カリッタ航空が大きな役目を果たしました。

表には出てこない色々な事情が背景にあったのでしょうが、貨物航空の世界は不思議なことがとても多く、裕坊も知らないことだらけです………

 

 

日曜日に終わった6日間の連続のフライトでは、ホテルの朝食が毎朝無料で提供されていて……

ちょっとカロリー過剰気味…………

 

ということで、日曜日の日帰りのフライトでは、はマジメに野菜サラダ……

せっかく落としていた体重、3キロほどリバウンド…………………

 

 

しばらく節制します…

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2/22

米国小型機専門会社で、小さな都市を駆け巡る、裕坊といいます。こんにちは。

先日火曜日に5日間のフライトへと出発して、とりあえず一旦帰宅(あと日帰りのフライトが、1日残っています)。今までのパターンでいくと、2月といえば、中西部は大抵ほとんど毎日どんより曇り………快晴の日はあっても5日に1日くらいなものですが………… 今回の5日間は過去記憶にないくらいに天候に恵まれ、至る所で快晴に恵まれる5日間となりました…

 

こちらは2日目のインディアナポリス

 

そしてこちらは、3日目のアイオワ州デモイン。いよいよここで、今年のアメリカ大統領選挙の予備選の火蓋が切られました。

自ら民主社会主義者を謳うバーニー・サンダース氏が一歩リードする民主党予備選。

 

アイオワ州における予備選では、票の集計を巡って、大騒ぎにまでなる始末……

そのデモインからデトロイト行き、細かい整備上の課題が起こって、出発は20分遅れ………

 

デトロイト着は、かつてよく行き来をしていたCコンコースが到着ゲート。

リージョナルジェット機専用のボーディングブリッジを据え付けるので、飛行機との距離がハンパなく近いです。

 

ほんのちょっと雲がかかった、4日目のバーモント州バーリントン。

大統領選挙、民主党予備選の有力候補バーニー・サンダース氏は、ここバーリントンで4期8年に渡って、市長を務めていたそうです(1981年–1989年)。

 

そのバーリントンからニューヨーク・ラガーディアまでは客席にてぬくぬく。雪がかかるバーモント州を眼下に見ながら離陸上昇。

 

北から入ってきて、北西方向へと着陸する滑走路を使用していましたので、

到着の際には、一旦マンハッタン上空を通過……

 

そのあとほどなくして、自由の女神を後ろから眺めるように左へと旋回……

 

最後にはニューヨーク・メッツの本拠地球場であるシティ・フィールドを円の中心にするように旋回して、

 

滑走路31へと入っていきました。

快晴の日に北西方向へと着陸する時ならではの、ちょっとした上空からのクイーンズ観光。

 

到着したニューヨーク・ラガーディア空港。老朽化した建物の建て替え工事が着々と進み、

我がエンデバー航空の担当する便は、多くが地上階からの乗り降り…

 

ただ飛行機をバックに記念撮影ができる特別なスポットでもあるので、お客様には意外にも人気が高いのです。

 

ちなみに今年に入って始まった、ラガーディア空港のデルタ航空用ターミナルビル建て替え第2期工事。

Cコンコースの東側、ゲートC15からC24が全て閉鎖になり………

 

新しい壁が立て掛けられて、いよいよ建物の解体工事が始まります。

その間、仮のゲートC26AからC26Eが臨時で使用されることになるのですが、

 

出発ゲートの表示そのものはC12もしくはC13。

地上階からの出発になりますが、最近かなり混雑していますので、そちらのゲートからの出発の際にはお早目にゲートに向かうことをオススメします(2020年2月22日現在)

 

今回の5日間のフライトでは、宿泊したホテルにも恵まれて、4日とも朝食付き……

 

高級レストランで、無料で朝食の提供……

 

5日目の今朝も、無料で朝食をいただきました。

ただしアメリカのホテルでの朝食では、野菜はまずついてきませんので、サラダを別途購入して繊維を補給した方がいいです……

 

帰ってきた時も、このお天気……

 

ここまでお天気に恵まれる冬は、14年近くデトロイト近郊に住んでいて、初めての経験かも……

整備の関係で、1便だけ20分ほど遅れることになった以外は、天候の影響を全く受けることなく、全便定時出発、定時到着…… 冬場でこんなに順調だったのは、ひょっとすると初めてのことかも知れません……

 

明日日曜日、日帰りのフライトが残っているのですが、日曜日も中西部から東海岸にかけて、やや強風ながらも快晴のお天気の予報になっています。

 

 

今回の5日間は、スケジュールの中身が濃く、ブログがアップできなかったのですが、ずっと気になっていた新型肺炎、コロナウィルスの感染…………まだまだ収まりそうにないですね……

 

特に政府への無対策ぶりに批判が集まっているようですが………最初の段階で、水際で止める、中国からの来日客の上陸差し止めをなぜしなかったのか、という批判。なぜ国民の命を最優先しないのか、という批判…………分からなくはないのですが、日本の立ち位置を考えると、コロナウィルスの感染が最初に報告された段階で、いきなり上陸差し止めを決断するのは、あまりにも危険な判断だったと思います。

 

なぜなら日本は、中国にとって今でも仮想敵国の筆頭国だから。

 

もし世界に先立って中国からの上陸差し止めをいきなり発表しようものなら、世界中から蜂の巣にされていたでしょう。習近平は声高に日本を猛批判し、諸外国もそれに追随して、日本は中国人に対する差別をする国というレッテルを張られ、世界中から孤立する可能性を秘めていました。第2次大戦に巻き込まれる原因ともなった『ABCD包囲網』の二の舞にでもなろうものなら、国家存亡の危機をいつ招くとも限りません。実際、アメリカが中国からの上陸差し止めを決めた際には、中国は声高にアメリカを批判しました。もしそれを日本が世界に先立って決断していたとしたら…………

 

そういった背景を顧みた上で様子見をするのは、致し方なかったことだと裕坊は思います。少なくともエボラ熱や天然痘のように、致死性の高いウィルスでは幸いないようですし、

 

 

「結果的に見るなら、静観するのは決して間違ってはいなかった」………

 

 

ただしあくまで、これは結果論。

 

アメリカや欧州各国が中国を往復する航空便の差し止め、中国人の入国拒否、ビザ発給停止などの措置を講じている現在であれば、その各国に追随しても、世界からの批判の対象にはならないはず……湖北省浙江省だけからの渡航差し止めだけではなく、中国全土からの入国拒否を決断してもいい時期ではあると思います。

 

政府的には、中国人旅行客が落としてくれる外貨が、よほど美味しいに違いありません。 ただ、中国との立ち位置は日本政府には是非再考をお願いしたいです。中国経済に陰りが見え、日本に擦り寄ってきている現在でも、尖閣諸島では未だに中国籍の不審船の領海侵出が後を絶ちません。この事実こそ、中国の本音と思惑を明確に示していると思います。

 

危機管理に100%の解答というのはありません。ただ舵取りの方向を明確に示す時期ではあると思います。安倍首相のリーダーシップ、今こそ発揮していただく時でしょう。

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2/17

小型機専門航空会社で、チェックリストの読み上げにいつも答えている、裕坊と申します。こんにちは。

 

パイロットたちが義務付けられるフライト訓練は、会社の規定、連邦航空局との申し合わせによって決まりますが、通常は1年に1回。

有意義な3日間に渡る研修を終えて、木曜日の夕方には帰宅し、そこから久しぶりに4連休。

 

金曜日はほとんど何もせず1日を過ごして、土曜日、日曜日は息子がやっている剣道の大会のお手伝い。 会場は我が家から車でおよそ45分ほどの距離にある、とある高校の体育館。

土曜日は昇級試験、昇段試験でした。午後2時からの開始で、朝もゆっくり。

 

まだ静かな体育館。どうやら日本語補修校(週1日の開校)は、以前はこちらの高校だったらしいです。

 

2級を目指して、昇級試験に初参加の息子くん……

また2級進級を目指して、次回頑張りましょう………

 

そして大会当日……

大会開会式は、午前7時……

集合は午前6時30分………

5時半過ぎの出発に合わせて、4時半頃には起き上がっておりました………

 

息子くん初参加とあって、愛妻ちゃんも親として何もしないわけにはいかず、ボランティアに参加。裕坊も同行し、2日続けて飛び入りで参加することに……日曜日は呼び出し係を務め、1日声を張り上げてまくり……

 

裕坊は、スポーツといえば水泳を3年やっていた程度で、あとは野球をかじったくらい………剣道などには関わったことがなく、ましてや大会などを見るなどというのは、50年の人生にして初めての体験……ちなみに昨日の大会には、全日本剣道選手権大会の第51回大会優勝の警察官の方も、来賓で来ていらっしゃいました。

大会の始まりに当たって披露される形なども、見るのは初めての経験……厳かな、剣道の会場ならではの雰囲気……

 

そして息子くん、個人戦団体戦と出場しましたが………

また次回、実力をつけて頑張りましょう…………

 

飛び入り参加とあって、本来はお弁当はいただける立場になかったのですが、

欠員の方も多かったらしく、お弁当の数には余りがあったそうで、裕坊もいただくことができました…… 大会は朝7時から始まって、夕方の5時過ぎまで。普段長く立つことがない裕坊、閉会式の頃には足が棒のようになっておりました……

 

試合はとても厳かな雰囲気で粛々と進行……ただ、デトロイトの道場の先生方が、試合の進行具合を確認するたびに、ボランティアにもご挨拶。労いの言葉をかけて、握手をされるたびに、手の中にはチョコレートやらウエハースやら………閉会式後にはデトロイトの道場の選手たちにボランティアが皆で揃って記念写真。

 

今年の7月には、3年に1度の大きな剣道の大会がデトロイトで開催されるそうです。その時には1日あたり100人規模のボランティア、しかも大会は3日間にも渡るそうで……ご興味のある方は、是非デトロイト道道場を通じて、ご連絡をお願いしたいそうですので、ご一報を。

 

足がつりそうになるほど、1日立ちっぱなしだったにもかかわらず、洗車を頑張り……

頑張ったのは洗車機ですが…………

 

お買い物も頑張り………

ショッピングカートを乳母車代わりにして、ずっともたれかかってはいましたが………

 

2日間自分でも褒めたくなるくらい、よく頑張りました……

 

エネルギーもカロリーも、しっかり消費しました。

 

 

そして月曜日……本来であれば、今日からまた学校の日ですが、実をいうと愛妻ちゃんも息子くんも、今日はお休み……2月第3月曜日は毎年プレジデントデー(President Day)、日本語ではワシントン誕生日と訳されているように、アメリカ初代大統領のお誕生日を記念しての祝日。ジョージ・ワシントンの生誕の日は、2月22日(1732年)ですが、月曜日に祝日が重なるように、ということで2月第3月曜日ということになったらしいですが、第3月曜日となると、2月22日には永遠になることがないということ………

 

誰が思いついたかは分かりませんが、いかにもアメリカらしい………………

きっと雪が多い季節に、少しでも休みの日が欲しかったに違いありません………………

初代ワシントンの生誕記念の日にするなら、もう1週待てばいいのに…………………

 

感謝祭やクリスマスほど、盛大にお祝いされる祝日とはならず………(アメリカ建国に尽力した人物の1人であるにもかかわらず……気の毒な初代ワシントン大統領……)、冬の間のちょっとした小休憩的な存在のプレジデントデー。企業ではお休みになるところはほとんどなく、皆通常通り出勤しております。でも学校は大抵のところではお休み……

 

ということで、息子くんと共に立ち寄っていたのは、電器屋さん…………

 

最近パソコンを使って、宿題やら課題やらを多くこなしている息子くん。もう購入してほぼ5年が経過する普通のノートパソコンでは明らかに容量不足だったようで………

今日はちょっと奮発……息子くんにも納得のノートパソコンを一台購入しました……

 

また働かんといかん…………

その為には、明日から始まる6日連続のフライトに備えて、まずは栄養補給………

 

またもやってきてしまった、ミシガン大学が中央に大きく構えるアナーバーの町。

 

夕暮れの時間帯もなると、煉瓦造りの映画館がとても映えるアナーバーのダウンタウン

 

もう既に従業員の方の一部にも顔を覚えられてしまっている、スラーピングタートル。

 

 

今日のお題………

 

 

肉まん生地に厚めの豚肉を挟んだポークバオ。

 

大根の千切りの上に、サーモンの皮がのったサーモンサラダ。

 

お寿司は、お馴染みの炙りサーモン、甘エビ、そして裕坊はお気に入りのハマチを一貫。

 

ここに来たら、裕坊的には絶対に外せない塩ラーメン。

 

一緒に来てくれた友人家族は、宮崎産だという牛肉を注文しておりました。

 

石焼きで焼いてしまう、本格派……

で、お値段70ドル……

 

今日はバレンタインデーサービスの1つということで、こんなものまでサービス……

カボチャのコロッケ……なかなかの一品でした。

 

そしてデザートは、お約束のこちら…

バニラシュークリーム……

 

そしてまたもお店の粋な計らいで、こちらはサービス……

抹茶ティラミス……

 

ちなみに愛妻ちゃんは愛妻ちゃんで、今日はケーキ教室などにまで参加していて、こんなものを持って帰ってきてくれていました。

モンブラン……これがまた美味しくて、コーヒーに合う………

 

これらを短時間のうちに平らげてしまい……………

 

 

エネルギーもカロリーも、しっかり補充しました…………………………

 

 

明日から6日連続に渡るフライト………頑張ります…………

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2/14

米国小型機航空会社、前方オフィス専門係、裕坊といいます。こんにちは。

 

裕坊が勤める小型機専門の航空会社の本社であるミネソタ州ミネアポリスへと火曜日からお出かけし、昨日木曜日に3日間の訓練を終えて、我が家のあるデトロイトまで帰ってきました。

先週ほどの大きさではなかったものの、寒気団が入り込んでいて、最低気温がマイナス16度を記録していたミネアポリス………

 

訓練が終わって、空港内へと入ってやれやれ………

3日目の昨日木曜日は、トレーニングセンターへの出勤時刻5時………

 

ホテルを出発するシャトルは、4時半発………

起きたの2時30分…………徹夜やん…………

それでも、3日目のフライト試験、無事合格…………

 

 

たまには、自分にご褒美でもせんといかん…………

 

 

というわけで…………

 

気になっていたミネアポリス国際空港のメインフードコートに位置するお寿司屋さんで、お寿司購入………中央部に大きく構えているので、探すのに苦労をすることはありません……

ポケ丼がとても気になっていたのですが、めちゃお腹も空いていたし、ポケ丼を作っているのを待つほどの余裕なし………

 

ということで、オーソドックスに普通のお寿司………

大きなサーモンが入った巻き物が4切れで、お値段9ドル………

 

どのような流通手段でお魚類を仕入れているのかは分かりませんが、ネタは新鮮です。ただ昼食、夜食でお腹を満たしたいなら2パックは必要かも………

 

飛行機の座席に座った途端、完全に夢の中へと入り込んでおりました……

 

デトロイトでも、ちょっと雪が降っとったんやね……

 

 

 

こちらが火曜日から木曜日まで3日間、1日当たり4時間を過ごしたシミュレーター。昨年までは2日間だった年次訓練。

昨年4月に新たな項目が加わることになり、1日増えてそれ以降は3日間に渡る訓練となっています。

 

ただ自宅で少しでも多く時間を過ごし、勤務先での時間は1分といえども減らしたいアメリカ人の意向に合わせて、スケジュールは超過密……

 

初日が、午後12時半から夜7時まで。

2日目が午前8時から午後3時過ぎまで。

そしてフライト試験となる3日目は…………

 

 

午前5時から午前11時まで………

 

ただ新しく加わった訓練項目自体は…………

 

 

受けてよかった、と素直に言い切れるものでした。

 

 

新しく加わった項目というのは、先日お亡くなりになってしまった野村克也さんの名言のうちの1つをお借りして表現すると、

『「失敗」と書いて、「せいちょう」と読む』

を、連邦航空局がまさに体現したもの。

 

具体的には、2つの航空事故の教訓を生かして、それを将来に渡る航空安全に繋げる、というものでした。

 

 

まず1つ目の事故とは、ナイアガラの滝に程近い、ニューヨーク州バッファロー空港近辺に於いて起きた、コンチネンタル3407便墜落事故。運航していたのは、現在は我が社エンデバー航空の一部にもなった、当時のコルガン航空。機体はターボプロップ旅客機、ダッシュ8−400型。

 

事故を起こした機体は滑走路へとアプローチ中。速度が極端に低下し、主翼上面では滑らかだったはずの気流が乱れ始めていて、失速に近づいていました。

正常な揚力(機体を空気中に浮かせるのに必要な力)を回復させるには、操縦桿を若干前へと押すことにより、機首下げを行なって、主翼上面の空気の流れを正常な状態に戻す必要があるのですが、

 

その便の機長は逆に、操縦桿を目一杯引いてしまい………

機首は大きく上へと向いてしまい、機体は完全失速。コントロールを失った機体は地上へと叩きつけられ、大破…………

 

乗客乗員の方49名に、地上にいた方1名の尊い命を失う惨事となりました………

パイロットとして覚えておかなくてはならないのが、たとえ滑走路に近い低空といえども、失速状態からの回復には、機首下げが必要だということ。

 

かつての年次飛行訓練、フライト試験では、失速状態、あるいはそれに近い状態に入った時、その状態のまま高度を落とさず保てなければ試験失格にすらなっていたのですが、却ってそれは失速からの回復を奨励せず、失速状態を助長するだけだった、と連邦航空局も過去の過ちを素直に認めています。少なくとも我が社の試験項目からは、失速状態での高度維持の条項は完全に消え去り、高度を落としてでも失速からの完全回復を訓練に盛り込むように、はっきりと指示するようになりました。

 

 

そして連邦航空局が、もう1つの教訓としたのが、エールフランス447便。

事故を起こした機体と同型機の、エアバス330−200型機。リオデジャネイロを出発して、パリへと向かう途中の大西洋上での巡航中に、コルガン3407便と同じく失速状態に陥り、パイロットがこれまた同じように操縦桿を引いてしまい…

 

大西洋上に墜落……

写真は、機体の破片の一部。

 

原因となったのは、実は洋上飛行中に発生していたある装置の氷結。

その装置とは、機体から前方に向かって飛び出ている、恐らく誰もが一度は耳にしたことがあるピトー管。これが氷結していたのです。

 

ピトー感とは、機体の前面が直接受けている空気の圧力を測定する装置。これに外気温であったり、外気圧などの要素を加味することによって、空気中での移動速度(対気速度と呼ばれます)を測定することができます。それに風の方角、速度を加味すると、地球上に対する移動速度も測定可能(対地速度)。これが氷結してしまうと、空気圧は当然測定できなくなります。

 

事故直前、飛行機はピトー管の凍結によって、計器上の速度が不安定になっていたのですが、残念なことにパイロットは機体が失速状態に近いことを把握できていませんでした。状態が把握できないままパイロットたちは、操縦桿(現在のエアバス機は、ほとんどが操縦席横にあるサイドスティックを採用しています)を引いてしまい、機体は完全に失速状態へと入ることに………

 

さらに悪いことには、ピトー管の氷結が一定の条件で起こると、上昇時に計器上の速度が速くなり、下降時には逆に計器上の速度が低下するといったことが起こります。この時も計器上では高度計が上昇を示し、それに合わせて本来なら下がるはずの速度計までが同時に上昇していたのです。最後まで機体の状態の把握ができなかったパイロットは、機体を失速から回復させることができないまま………エアバス機はそのまま大西洋へと墜落しました。

 

座学の上では理解できていても、現場に出た時にすぐそれが応用できるかとなると、それはまた別の話。その状態を的確に視認できるようになるためには、飛行訓練中による経験が航空安全への不可欠条件として、2013年11月に米国連邦航空局によって新たな訓練項目に加えたそうです。

 

ただシミュレーターのプログラムの書き加え、シミュレーターの負荷耐性の承認などに時間がかかり、実現には6年の歳月を要することになりました。

 

航空技術がこれだけ発展した現代でも起こり得るこれらの事象。航空安全の追求は、航空界には永遠の課題であることを痛感した3日間でした。

 

 

息子の剣道大会などが週末に入るため、休日返上などのフライトは入れず、月曜日までお休みをいただく予定です。

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2/10

米国小型機専門航空会社、操縦担当、裕坊と申します。こんにちは。

先週は実質飛んだのが3日間だけだったにもかかわらず、中西部から東海岸を通っていた悪天候の影響にさらされ続けた4日間のフライト……

 

2日目の最終便などは目的地に到着できず、出発していた空港へと引き返すなどのとんだハプニングもありました……

悪天候は広範囲に影響していて、雨氷(英語でフリージングレインと呼ばれる現象)も降るなどの悪条件……雪なら対処できる豪雪地方の除雪隊といえども、雨氷となると対処しきれないことも………滑走路の状態を回復させることができず、その夜は裕坊のフライトが着陸を諦めた後、結局空港そのものが閉鎖されることになり、あとで調べたところ、翌日金曜日はデルタのみならず、他社の便も全便が欠航……

 

雨氷、おそるべしです………

 

気流も安定しなかった水曜日と木曜日……

巡航中の揺れもひどくて、客室乗務員もずっと着席させたままの状態……

 

最終日4日目となった土曜日はお天気は快晴………ところが、乗客の皆さまを乗せてやってくるはずの連絡バスが姿を見せず……

待ちぼうけ………

 

その間、国際線の大型機材が入ってくるのを、ずっと眺めることになるテイタラク……

とんだ4日間のフライトでした……

 

日曜日と月曜日は、ゆっくりとお休みをいただき……

月曜日は、息子くんの検診を済ませて……

 

明日火曜日からは、1年に一度課されるフライトトレーニングへと出発。本社のあるミネソタ州ミネアポリスに向けて、朝方出発の予定……

もちろん実機を使うことはなく、シミュレーターを使うことによって、実機では再現できない緊急事態の対処法などをおさらいします。

 

今年度から変わったことといえば……

ここ数年2日間だけだった年次飛行訓練が、3日間へと変わったこと……

 

毎年、連邦航空局による最低必須項目とされる内容は変わっていて、昨年途中から航空力学的学習要素を大いに盛り込むことになりました。

どんなに航空機の自動化が進もうとも、航空力学的に飛行原理そのものが変わることはありません。これは手動で飛んでいる場合でも、自動操縦で飛んでいる場合でも同じこと。

 

飛行機が飛ぶ元々の原理とは、主翼上面がなだらかな曲面を描いていて、その上面を空気が流れると主翼上の空気の流れがやや速くなり、その反作用として上面の気圧が下がって、主翼が引き上げられる(正確には吊り上げられるような感じ)というものなのですが……

主翼主翼の空気の流れの角度が一定を超える(一般的には、平均で16度)と、空気の流れが主翼上面で乱されてしまうという特徴も併せ持っています。

 

この一定の角度を超えた状態が、航空力学でいう失速(英語ではストール(stall)と呼ばれます)状態で、当然飛行に必要な揚力を得られず、飛行機を持ち上げることはできなくなりますから、当然高度も下がることに。

こんな時は機首をやや下げて、空気の流れの角度を変えて(角度を少なくする必要があります)失速状態からの回復をしないといけません。

 

離陸、着陸時は高度も低く、機首下げにはやや勇気がいりますし、高度1万メートルを超えるような高高度ですと空気が薄く、失速状態からの回復には敢えて意図的に高度を下げる必要もあります。

他にもいくつか学習要項はあるようですが、この部分にかなり重点が置かれているのが、今年度の訓練の特徴。

 

3日間の訓練、3日目はトレーニングセンターに午前5時のショーアップ………

頑張ってまいります……

 

 

ところで、野村克也さんがお亡くなりになってしまいましたね……

妻の沙知代さんがお亡くなりになってからというもの、かなり憔悴されてらっしゃった様子が、画像からもかなりヒシヒシと伝わってきておりました。車椅子に押されながらも、あちこちに顔出しはされていたようですが、孤独感がつきまとっていたようですね……ノムさんならではの野球感、いつ聞いていても納得させられるものがありました。もっとボヤキを聞きたかったです……

 

心からご冥福をお祈りいたします。