yuichibow’s blog

ジェット旅客機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊パイロット日記 2024年11月

米国航空会社に勤務する、裕坊です。

 

11月に入ってもしばらく暖かい日が続き、10度台中盤まで気温が上がることもあったデトロイト地方でしたが、

先日はちょっとした冬景色。いつもより暖かい冬になりそうな予報になっているミシガン州ですが、降水量はやや多くなるかも知れないとのこと…

 

そして秋の季節に入って目にしたのは、米国格安航空会社、スピリット航空の破産法11条申請のニュースでした。

スピリット航空といえば、事業規模は米国内格安航空会社としてはサウスウェスト航空、ジェットブルー航空に次いで3位。(全米の旅客航空会社としては7位)旅客航空シェアは全米内5%ほど。

 

全米だけでなく中南米への路線も網羅するスピリット航空。機体全体を黄色の塗装が覆い、遠く目でもはっきり判別が可能な特徴のある機体なので、ご存知の方も多いのではないでしょうか。

コロナ禍以前は比較的経営も順調に推移していた格安航空会社の一角でしたが、コロナ禍以降、経営的に苦戦が続き、2020年以降は毎年ほぼ5億ドル相当の赤字が続いています。

 

本来であればドル箱路線になるはずのデンバー空港、アメリカ合衆国の首都ワシントンにあるレーガン空港からの路線撤退まで余儀なくされるほど、業績が芳しくないスピリット航空

ここ2年間は同業他社との合併を模索して、経営危機を乗り切る戦略へと舵を切っていました。

 

特にライバルの一社でもあるジェットブルーとの合併交渉は順調に進み、両社による合意の調印がなされ、連邦司法省による承認を待つに至るところにまで漕ぎ着けたのですが、意外なことに司法省からの通知は、

 

 

 

 

合併案却下でした………

 

 

 

 

両社を合算しても全米シェアは10%ほど。老舗のサウスウェスト航空の旅客航空シェア17%には遠く及ばないため、確実に承認されると思っていただけに、司法省による判断は裕坊には意外でした。

2008年のデルタ航空とノースウェスト航空の合併(現デルタ航空)に始まり、ユナイテッド航空コンチネンタル航空(現ユナイテッド航空)、アメリカン航空USエアウェイズ(現アメリカン航空)と続いて、サウスウェスト航空によるエアトラン航空の買収などもあった米旅客航空業界。ごく最近ではアラスカ航空ハワイアン航空の合併までも承認になっていただけに、久しぶりに聞く旅客航空業界における合併案却下でした…

 

 

ちなみに古くは、経営危機へと陥っていた嘗てのアメリカ随一のフラッグキャリアパンアメリカン航空もノースウェスト航空との合併を模索し、経営危機を乗り切る方針を固めていたことがあります。

その案件は結果的に流れてしまい、パンアメリカン航空は結果的に完全経営破綻、会社の倒産に到りました(1991年)…しかしこの時は3名からなる投資家によってノースウェスト航空が買収され、合併案が実現しなかったという事情があります。

 

 

スピリット航空ジェットブルーとの合併案が否決されたあと、事業規模がスピリットよりもやや小さく、全米旅客シェアがおよそ4%のフロンティア航空との合併交渉へと赴いていたのですが、こちらも結局は不調のままに終わり…

 

連邦破産法11条の申請へと至りました(2024年11月18日)。破産法11条は日本での民事再生法による手続きに相当します。完全破綻の際に適用となる破産法7条への申請ではありませんので、これまで通り旅客便の運航は続くことになります。

ただしこの5年間での損失額は22億ドル…赤字をこれ以上垂れ流すわけにはいきません。既に保有機全体のうちのおよそ10%に相当する20機ほどをリース会社へと売却。従業員も一部で休職扱いにするなど事業規模をやや縮小し、債権者との再建計画の交渉にあたるなどして2025年初頭までに破産法申請からの再建を目指すことになります。

 

ここ20年間の全米における航空会社の再建は、同業他社との合併を模索する形で解決してきている事例が圧倒的に多く、合併を伴わない完全独立体での再建の事例は、裕坊の記憶にはほとんどありません。相当な困難が伴うのを承知の上で、経営陣がどのような舵取りで財務危機を乗り切るのか、裕坊は個人的にその行方を追っています。

 

 

10月から11月にかけては、長時間滞在でペンシルベニア州の鉄鋼の町、ピッツバーグを何度も裕坊は訪れておりました。

 

デトロイトと同様、ラストベルトの都市の代表的な町でもあったピッツバーグ。一時期はかなり荒廃が進んで、ダウンタウンはとても街歩きできるような所ではなかったそうなのですが、

再開発が進み、今では観光都市としての立地を確立しました。

 

並行する川が2本、町を挟む形で流れていて、さらに鉄鋼の町ということもあり、町の至る所に橋がかかっています。

その本数は400本を超えるのだとか…

 

町の南へと行くと小高い丘もあり、ケーブルカーで丘を上がることもできます。

 

ちょうど紅葉の時期だったこともあり、秋晴れの中で見渡せる街並みは、絶景そのものでした。

 

 

10月から11月初頭にかけては忙しい日程をこなしながらも、続けていたピアノの練習…

 

11月には裕坊の講師が主催する発表会もあり、

 

裕坊はベートーベン、月光第1楽章を披露したのですが、

前年に続いて、またも曲の中盤で玉砕……

 

ステージという魔物に、またも跳ね返されたのでした…

 

 

 

 

鍛練の日々は、これからも続きます… また12月にお目にかかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2024年10月

米国航空会社に副操縦士として勤務する、裕坊です。

 

ここ最近活動が活発化している太陽。およそ11年の周期で活発になったり低調になったりを繰り返すそうですが、2025年7月ごろに極大期を迎えると予測されていた太陽は、どうやら昨年ごろには入っていたということのようです。今月になって米航空宇宙局(NASA)から発表になりました。

 

大規模な太陽表面における爆発現象(通称フレアと呼ばれる現象)も起きているようで、最近になって北米の各地でもオーロラを観測。

 

太陽の黒点活動が激しくなると起こるのが、磁気嵐。オーロラの発生源にもなります。電波通信の障害の原因にもなりやすく、人口衛星からの電波を頼りに位置情報を算出する仕組みを持つGPSも、影響を受けやすくなります。

航空通信、航法装置など、航空機にはあらゆる通信機能が搭載されていますが、磁気嵐による影響は現在のところは最小限に留まっているせいか、社内における通知などは発令されていません…

 

航空機が運航に影響を大きく受けるのは、雨風を伴う気象現象…暴風雨を伴う気象現象は飛行機にとっては大敵で、ハリケーン等が内陸部に上陸するとなると、経路に該当する空港発着便は、例外なく全便が欠航になります。

 

先日フロリダ州を横断したハリケーン・ミルトン。

 

ハリケーンの強度を示す指標の中でも最大とされるカテゴリー5にまで発達し、

 

フロリダ州西岸のタンパに本拠地を持つタンパベイ・レイズの本拠地球場、トロピカーナフィールドでは屋根の一部が欠落…

 

骨組みが完全に晒け出される無惨な姿へと変貌してしまいました…

 

下からの空気による吹上げ式ではなく骨組で屋根を支えているため、東京ドームとは屋根の構造は違いますが、白色の幕自体は実は東京ドームと同じ。

そのため外野席から内野を眺めていると、なんとなく東京ドームを思わせるところがあり、好きな球場の1つだったのですが、野球の試合の開催に支障を来すことになりました。(ただレイズの野球場の建て替え自体は決まっていて、早ければ2028年にも新球場へ移転する予定になっています)

 

フロリダ行きの全便が欠航になったサウスウェスト航空。使用しない機材が駐機場でしばらく停泊状態になっておりました。

 

お天気の影響は航空会社では無視はできませんから、ハリケーン発生時には会社から逐一最新の情報が送信されてきます。毎日更新、上陸時には数時間おきの自動受信。

受信先は各パイロットに会社から支給されているタブレットデルタ航空では、iPad Proの第3世代の11インチ版が支給になっています。

 

空港ごとのレイアウト表だったり、出発経路、到着経路表、滑走路へのアプローチの情報なども入っていますので、操縦室内でも使用します。

 

客室乗務員には客室内での作業効率を考慮して、iPhoneが支給されています。

 

担当便の各座席の予約状況までが一目で表示されるスグレモノ。 情報網が発達し、個人がスマホタブレットなどでお互いの情報交換を気軽に行えるようになった時代。航空会社もその波に乗るかのように、情報網で会社と各従業員を結ぶようになりました。

 

かつて裕坊が地域航空会社へと就職した当時(2006年)は、出勤日初日には空港内の乗務員用のラウンジへと出勤して、ラウンジ内のみに設置されるコンピューターで出勤を報告していましたが、

現在は各個人のタブレットにて報告。スケジュールの閲覧用アプリは各個人のスマホにまでダウンロードが可能になっているので、そちらで出勤を報告することも可能になりました。

 

現在も各航空会社の基点空港には、乗務員専用のラウンジがありますが、

空港に着くと同時に、担当便の出発ゲートへと直接向かうことも珍しくなくなった時代。

 

乗務員専用ラウンジに立ち寄ることも減って、ラウンジは閑散としていることも多くなっています。

 

こちらは入社以来、今も担当機種としているボーイング717型機。

 

座席配置はファーストクラスが通路を挟んで両側2席ずつ。エコノミークラスは通路の左側が2席で右側が3席の仕様。

 

エンジンが後方についていることもあり、他機種と比較するとまずまず静寂ということで、

 

実はヘッドセットを通してのパイロット同士の会話ができない仕組みになっていたのですが、 この度連邦航空局からのお墨付きを得て、ヘッドセットを通じてのパイロット同士の会話が可能になる装備が許可されることになりました。

常にマイクがオンになっているので、ホットマイク、もしくはインターコムと呼ばれています。

 

エアバス機では全機採用になっていて、我が社ではボーイング737型機にも採用されているインターコム

 

各機体とも重整備を利用して、通信用調節装置を刷新という流れになるでしょうが、

現在デルタ航空で稼働中の88機に、2025年末までには装着を目指しているようです。

 

 

 

また11月にお目にかかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2024年9月

米国航空会社に勤務する副操縦士、裕坊です。

 

一時は日中の気温も10度台に落ち着いていたアメリカ中西部。

ここ1週間ほどは最高で20度台後半まで上がっているのですが、朝晩がかなり冷えるとあって、体調を崩す方が増えています…

 

スーパーもいよいよ秋の装い。

展示コーナーにも、ハロウィーンものが勢揃いしています。

 

旅行シーズンが落ち着き、裕坊が乗務するボーイング717型機でも、夏休み中には大幅に増えていた地方空港への就航数が少なくなりました。

 

そんな中で、秋シーズンもエアバス機による1往復、B717による往復便を抱えているのが、ノースダコタ州都のビスマルク

人口規模はそれほど大きくなく、2020年統計でおよそ7万3千人ほど。ただ1970年代と比較(当時はおよそ3万5千人)して、人口は倍増。現在でも人口流入は続いているらしく、フォーブス誌によると全米で7番目に人口増加率が高いのだとか…

 

同業他社はリージョナルジェット機による運航に集約されています。

 

町全体の人口構成を見ると圧倒的に白人が多いのですが、街中にはラーメン屋さんもあり、

 

この3ヶ月ほどで裕坊は、5回もお世話になりました。

刺激物に目がないアメリカ人には、激辛系が大人気。ただ裕坊が激辛ラーメンを食べると舌が火事を起こすので、塩、もしくは醤油ラーメンをいただいています。

 

地方都市への運航時に大きな違いが出るのが、管制塔の業務時間外。

 

これは昨年B717による就航があった時の、ミネソタ州ローチェスター空港での出発前の外部点検時の一コマ。

秋が深まっていた時期だったこともあって、かなり深い霧に覆われておりました。

 

デトロイト空港やアトランタ空港などの繁忙空港ともなると、管制塔は24時間体制で業務が行われていますが、

 

地方都市では24時間体制でないことが珍しくなく、

 

人口10万人以下の地方都市の空港にもなると、夜12時で終了になることがほとんど。

 

早朝は多くの空港で、朝6時から管制業務が始まります。

 

ちなみに最近では多くの旅客空港ターミナルで、ボーディングブリッジの据え付けがなされるようになりましたが、

 

一部の空港では今も、簡易式のスロープによる乗降が行われています。

 

アパラチア山脈の南端に程近い、ノースカロライナ州のアッシュビル空港はその代表例。

 

地方空港に於ける管制塔の業務時間外の運航は、管制塔がない空港における運用規則がそのまま適用されます。

 

空港規模は小さくても航空会社の就航がある空港には例外なく、滑走路灯、

 

誘導路灯が完備され、

 

空港の位置を示す回転灯(一般空港の場合、白色、緑色が回転しながら上空へと発光されます)なども設置されています。

 

滑走路へと航空機を誘導する誘導電波設備もありますから、視程がゼロになるような深い霧でもない限り、着陸も十分可能。

離着陸には大きな差異はありません。

 

有視界飛行条件(雲底が高く視界が良好で、目標物などの目視が十分に可能な状態であること)での運航が基本原則になりますが、雲底が低い時など計器飛行気象状態の際には、一定の要件を満たして離陸へと漕ぎ着けます。

離着陸はパイロットによる任意。管制塔がない空港と同じ発着方式なので、離着陸許可を受け取ることはありません。それでも自機の意志を無線にて、各空港ごとの無線周波数に発信するのも大原則の1つ。

 

航空会社による運航には、離陸までに航空管制による飛行計画の承認が必要になります。

管制塔の業務時間内であれば管制塔から直接受け取れますが、業務時間外の場合、巡航航空機管轄センターに無線連絡をした上で承認を要請をしなくてはいけません。

 

無線通信の状態が悪い時には、飛行情報提供センター等に電話を入れて取得することも可能。

 

また夜間の目的地到着時には、飛行計画書の終了を巡航管轄センターに連絡する必要もあります(これを怠ると、航空救助隊による探索救助活動が開始されるため)。

 

航空会社の就航がある地方都市では、管制塔業務時間外の旅客機、貨物専用機の発着も少なくないので、地上にいながら巡航管轄センターとの無線交信が可能になっているのが、1つの大きな特徴になっています。

 

 

ところで先日(24年9月10日)アトランタ空港にて、東京へと向かう予定だったデルタ295便と、ルイジアナ州ラフィアッテへと向かう予定だったデルタ5526便(デルタの子会社、エンデバー航空による運航)が誘導路上で衝突。

 

東京行きの機材はエアバス350型機。左翼の先端の破損以外に大きな損傷はなかったそうなのですが、 損傷が大きかったのは、76名仕様のリージョナルジェット機。

尾翼が完全に欠落し、尾翼を貫通している油圧液が全て流れてしまって、地上走行すら不可能な状態へと陥ったようです。修理不可能ではないかも知れませんが、機体の完全復旧にはかなり時間がかかるかも知れません。ただ負傷者等が発生しなかったのは幸いでした。

 

 

 

 

また10月にお目にかかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2024年8月

米国航空会社に副操縦士として勤務する、裕坊です。

 

日中こそ20度台半ばにまで気温が上がるものの、朝晩は10度台前半になることも多くなったデトロイト地方。

芝生の手入れの時の一コマ。電動式の芝刈り機を押していると夏の盛りには汗が吹き出していましたが、 長袖を着ていてちょうどいいくらいの涼しさでした。

 

どこかで何度か暑さは戻ってはくるのですが…

いつもの年に比べると、鰯雲を見るのが早い気がする今日この頃。

 

入社後、2年間課される担当機種固定が解かれ、同期生の同僚たちが次々に大型機材へと担当機種を変更、或いは機長への昇格を果たす中、裕坊は入社以来ずっとボーイング717副操縦士を継続しています。

こちらは機首部分。

 

プッシュバック用の棒は、車輪の軸に固定して取り付けられます。

 

既に生産終了後20年近く経過する機体ですが、我がデルタ航空ではバリバリの現役…

2024年8月時点で88機が稼働中。一部で機首ライトにLEDが装着されるようになりました。

 

目的地到着後、折り返し便出発まで取り付けられる空調管。

けっこうな圧力があるので外気温が30度台後半でも、余裕で機内を冬の真っ只中のように寒くすることができます。

 

マクドネル・ダグラス社の開発で完成したB717。着陸灯は主翼下からレンズが顔を覗かせ点灯されますが、

停泊中はしまうのが普通。故障で飛び出た状態のままになっているのでした… 起こり得る故障の1つ…

 

2年の乗務経験の中で、何度か遭遇しております。

 

こちらは着陸滑走中に鳥と衝突した後の一コマ。

 

副操縦士側の側窓への衝突だったのですが機体にダメージはなく、整備員による点検でも問題はなく、折り返し便の出発も定刻でした。

18年間の業界勤務中における、裕坊自身の経験は3度目…

 

 

ただこの夏は、2度ほど未曾有の体験をすることに。

 

 

1つ目はロードアイランド州プロビデンス空港にて。

 

東海岸側のボストンにも程近い中規模都市の空港。

天井が高く、開放感に溢れた空港です。

 

発着便数はそれほど多くはなく、日中はゆったりしているのですが、

 

デトロイトからの往復便を担当した当日は、東海岸全体が大きな雨雲に覆われて…

 

プロビデンス空港を出発する定期便が、全便離陸停止状態に…

 

夕方になって発生していた積乱雲が原因だったのですが、

実際には空港周辺が全域悪天候に覆われたわけではなく、離陸は可能だったようにも見えたのですが、

 

実はプロビデンス空港は、ニューヨーク・ケネディ空港への北東からの到着経路のほぼ真下で、

さらにはボストン行きの南西からの到着経路の真下…

 

その到着経路に積乱雲がかかって航空管制が運用可能な空域が狭まってしまい、

ニューヨーク行き、ボストン行き到着便が、通常プロビデンス出発便が使用する空域へと軒並み誘導されることになって、

 

プロビデンスからの出発便が離陸不可へと陥ってしまったのでした…

 

5時間近い遅延の後、やっとのことでプロビデンス空港を出発できたのは、すっかり日も暮れた夜の10時30分(定刻の出発時刻は、午後5時04分)…

デトロイトの到着は、日付が変わった後の00時29分。当初はセントルイスへの宿泊滞在が入っていたのですが、結局は翌日の昼以降へと遅延…18年この業務に携わっている裕坊にとっても、初めての経験でした。

 

 

ただそれでも当日の遅延は、局地的…

 

 

先月7月の中旬には、デルタ航空全体で尋常ではない影響が及ぶ事態が発生しておりました…

 

 

その事象とは…

ニュースの一面すら飾った、ウィンドウズ製コンピューターの機能停止。セキュリティーソフト提供会社のクラウドストライク社のソフトウェアが不具合を起こして、会社全体のコンピューターが機能不全に…機能停止に陥った全社でのコンピューター総数、なんと、

 

 

 

37,000台……

 

 

 

通常であれば再起動による回復が可能なのですが、この時は再稼働が機能せず、ほぼ全台とも手作業による再立ち上げが必要になったんだそうです。

 

 

現在の航空会社は、全ての部署がコンピューター上に保存されたデータに依存する時代。

乗務員配置、整備課、天候情報課などが密接に繋がり、運航発令部署に必要な情報が社内ネットワークを通して提供される仕組みになっているのですが、

 

情報抽出機能も当然のことながら不全へと陥り、出発便の運航発令がしばらくできなくなるという状態が続きました。

 

特に影響が大きかったのが乗務員管理課で、 各運航便の担当乗務員、各乗員の所在地を示すソフトウェアが機能停止に陥り、各運航便の乗務員の配置機能がほぼ3日間に渡って不全へと陥っていたのでした(それでも必要乗務員が確保できていた便は遅延を受けながらも、半数ほどが運航へと漕ぎ着けたらしいです)

乗務員が配置されないままの便は、ほぼ全便欠航…初日だけでも欠航便総数は、2,537に上りました…

 

担当便を失った各乗務員は乗務員配置へと追われる乗務員配置管理課への連絡すらままならず、電話をしても待たされること数時間…

 

各空港では、地上係員が欠航便からの乗客の振り替えに尽力しましたが、ほぼ全便満席状態で座席の空きがある便は見つからず、さらにはコンピューターの機能不全により、振替可能な運航便の抽出にも相当の時間を要することになり…

 

全ての作業に手間取る結果になった、夏休み旅行移動最盛期の7月中旬。

 

各空港ターミナルとも足の踏み場もないほどに、お客さんで溢れ返る事態へと陥りました。

7月19日に始まったコンピューター不具合の影響は7月24日ごろまで続くことになり、その間の欠航便の総数は7,000便。ほぼ5億ドルの損失を記録するという未曾有の事態となりました…

 

裕坊自身は5日勤務へと出勤していたのですが、5日目になっても帰宅はできずにミネアポリスにて足止め。

5日勤務でありながら、5日目夜のミネアポリスノースカロライナ州シャーロット行き最終便(19時55分発、23時27分着)担当の告知。不本意ながらも告知を受け入れ、準備を始めたにもかかわらず欠航…デトロイトへと帰ることすらままならずに翌朝デトロイトへと帰っておりました…

 

 

18年の勤務経験を通じてでも初めての規模になる、未曾有の経験でした…

 

 

 

 

また9月にお目にかかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2024年7月

米国航空会社の小型旅客機パイロット、裕坊です。

 

7月といえば花火の季節。月初めの7月4日は、アメリカ合衆国独立記念日(今年はちなみに、アメリカ合衆国建国248周年)ということもあり、当日は夜になるとかなりの花火が打ち上がります。

 

個人家庭の庭から打ち上げる人も少なくなく、独立記念日当日は、我が家の近所でも住宅街の上でたくさん上がっておりました。

 

ちなみにその翌日は、日本から訪れていた友人を訪ねて、ロサンゼルスまでひとっ飛び。

初めてこの時はドジャースタジアムを訪れました。

 

大手航空会社で副操縦士として勤務する裕坊ですが、担当機種のボーイング717型機の就航都市は、全米の東半分のみ…かつては西海岸への就航もありましたが、ほぼ座席数が同じのエアバス220型機の導入以降、大幅に就航都市の再整理が行われ、西海岸地区ではT字尾翼旅客機の姿は見られなくなっています。

ということで個人的な用事でもない限り、現在の担当機種では西海岸を訪れることはありません…

 

メジャーリーグの球場は、大都市の中心部に建設されていることが多く(デトロイト・タイガース本拠地のコメリカパークもそのうちの1つ )、ここドジャースタジアムもそうだと思い込んでいた裕坊にとっては、立地がやや驚愕ものでした…

ダウンタウンからまずまず近い立地にはあるものの、西海岸ならではの起伏が多い地形を利用。サン・ガブリエル山の麓に位置し、丘を駆け登る場所に位置しています。周辺は住宅に囲まれる立地…車2台がすれ違うのが精一杯の住宅街の道路が曲がりくねり、なかなか思う場所へと辿り着けず、近隣の住宅地をしばらくウロウロしておりました…

 

観戦まではしていないのでなんとなくの雰囲気しか掴めませんでしたが、記憶に間違いがなければ球場正門は外野スタンド側(間違っていたら、申し訳ありません)…

試合開催時以外は門が固く閉ざされているので、中の様子は外からは拝めません…照明のスタンドがフェンス越しに見え、球場であること分かるのがやっとでした。

 

入場門を潜ると、スタンドへ階段を降りていく仕組みなようです。

 

試合観戦はまた次回以降…

 

グッズ販売店へはチケットがなくても訪れることが可能で、チームショップと呼ばれるお店の直下まで車で行くことができます。

永久欠番の番号が燦然と飾られる中にあるのが、チームショップ。

 

ムーキー・ベッツ選手(2018年アメリカンリーグMVP、当時はボストン・レッドソックス所属)、フレディー・フリーマン選手(2020年ナショナルリーグMVP、当時はアトランタ・ブレーブス所属)といったスーパースターでさえ押し退けて、今やすっかりドジャースの顔になった大谷選手。顔写真やグッズが、店内の至る所に並んでおりました。

 

日本人訪問客への意識も高いようで、漢字入りの商品すら並ぶほど。

7月5日(金)は大谷選手の誕生日でもあったのですが、残念なことに当日の大谷選手は3三振を含む5打席凡退でした…

 

 

当日は、こちらも訪れてみたかったリトルトーキョーまで。

 

付近は京都に本店がある都ホテルがあり、車で訪れる際はここを目的地に設定すると便利です。

 

そのすぐお隣には高野山米国別院などもありましたが、

 

どうやら冠婚葬祭の利用客向けの別院らしく、一般開放はされておりませんでした。

近くの通り沿いには日本でもお馴染みのラーメン屋のロサンゼルス支店などもあります。

 

リトルトーキョーの中心といえば、やはりこちら、日本村プラザ…

 

鳥居をくぐると、そこにあるのは裕坊が実際に日本で最近目にしたばかりの光景…

 

すぐに頭に思い浮かんだのが、今年(2024年)2月に開業したばかりの豊洲市場千客万来。 お店の作り、街作りがまさに千客万来そのもので、海をひとっ飛びしていきなり豊洲に飛び込んできたような不思議な感覚でした。

 

平日ではありましたが、恐らく独立記念日前後に休暇を取って訪れていた人も多かったのでしょう。

 

どこもかなりの賑わいでした。

当日は日帰りでのロス訪問で、レッドアイ便に夜10時前には搭乗して、デトロイトへとトンボ帰り…

 

現在は5日勤務へと出勤して、地域航空会社所属時代からすっかりお馴染みになっているメンフィスで長時間滞在。

こちらはメンフィスのダウンタウン内の、ピーボディーホテル。朝夕とホテルのフロントロビーで、可愛らしいアヒルの行列を見ることができます。

 

最近すっかりアメリカでも市民権を得たラーメン屋でのひと時。

 

店内は邦楽が流れ、アメリカのラーメン屋にありがちな余分な装飾がなく、有楽町辺りのラーメン屋を訪れたかのような趣がありました。

 

7月といいますと、各大手航空会社では第二四半期の決算報告が発表されます。デルタ航空の第二四半期は、過去最高の収入額を記録しながらも、純利益額が昨年同期比で3割減。過去最高の旅客数を見込んで、国内線でも国際線に主に投入される大型機材までをも投入して提供座席数拡大を実施したのですが、それによる航空券販売単価下落の圧力に耐えられなかったということらしいです。

 

それでも路線拡張、座席数拡張をペースを落としながらも続けるデルタ航空では、パイロットの新所属先が開設されることが発表され、ボストンが8番目の所属先として加わることになりました。

シンシナティ空港が、パイロット所属先から除外されて以来となる新規開設先。

 

国内線の発着も多いボストンですが、狙いは拡張の対象になっている国際線。

 

現在のデルタ航空におけるヨーロッパ路線の中心機材はエアバス330型機で、A330専用の所属先になるんだそうです。

 

操縦席窓に縁取りのない従来からのA330による運航は現在1日5便で、行き先はアムステルダム(2便)、アテネ、ロンドン・ヒースロー、フランクフルト。

 

新しいロールスロイス製のエンジンを積んだNEOシリーズのA330-900による運航は1日1便で、行き先はパリ・シャドゴール。

機長、副操縦士含めておよそ250名が来年度までに配属される予定になっています。

 

 

 

 

 

次回は、8月にお目にかかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2024年6月

米国航空会社に勤務する小型機副操縦士、裕坊です。

以前勤めた地域航空会社から親会社である大手航空会社へと転籍して、2年が経ちました。2024年6月現在、デルタ航空に所属するパイロットは、総勢17,300名。ちなみに裕坊が研修を受講したのは2022年6月からで、2024年6月現在の社内優先順位が12,320番目。入社当時の優先順位が14,000番目ほどだったと記憶しているので、この2年間だけで6,000名を超える採用があったことになります。社歴上類を見ない、超がつくハイペースでの採用が続いておりました。

 

ただここ最近、採用こそ続いてはいるものの、そのペースはやや落ち着き気味。ボーイング社の近中距離旅客機、販売主力機でもあるB737型機の納入停止が影響しています。ただ米国内全体の旅客航空業界を見渡すと、今夏の需要は各社とも軒並み過去最高になるとの予測。その需要に対応すべく、通常は国際線での運用がほとんどで、国内線には投入されることが極めて稀なはずの大型機が投入される場面も目立つようになり…

 

先日は羽田路線にも多く投入されているエアバス350型機に、ミネアポリスからデトロイトまでを搭乗したことなどもありました…

夏休み中は、この運用を続けるようです。

 

ちなみに裕坊自身はエアバス350型機への機種換えの機会も伺っていますが、会社概要を見る限りデトロイト空港におけるA350型機の投入がしばらく増えることはなく、投入拡大はしばらくアトランタとロサンゼルスに限定されるそうですので…

 

このまま入社からの担当機種、ボーイング717型機での乗務が続くことになりそうです。

デルタ航空保有機材で最も小型になるB717の特徴は、地方都市への就航が圧倒的に多いこと。

 

つい先日などは、ウィスコンシン州の州都、マディソンに滞在。裕坊のお気に入りは、我が社の定宿のすぐお向かいにあるブランチ専門店。

 

ここのエッグベネディクトは、大のお気に入り。

 

ちなみにデザートには、いちごショートケーキを注文したつもりが……

デザートのいちごショートケーキではなく、“いちごショートケーキ“とメニューに書かれた、マディソン版いちごショートケーキ(実物はパンケーキ)を注文しておりました…

 

 

ぜんぜんショートやないし……

 

 

州都のマディソン市の中心部には、州議会議事堂もあります。

 

当日の気温は10度台前半とひんやりとしていましたが、雲一つない快晴のお天気で、

州議事堂周辺の建築が、とても映えておりました。

 

州議事堂から10分ほど西へと歩くと、ウィスコンシン大学マディソンキャンパスもあります。

 

北側はメンドータ湖に面していて、当日は様々な色の椅子やテーブルが多く並べられており、

 

リゾートビーチにでもやってきたかのような雰囲気を醸し出しておりました。

 

 

またとある日は、アメリカ合衆国南部へとひとっ飛び、アラバマ州モービルに滞在。

 

この町はニューオーリンズと同じく、かつてはミシシッピ川を中心とする広大な領土、フランス領ルイジアナの一部でした。モントリオールなどもある現在のカナダのケベック州までをも領土にしていた時期があり、その名残で今もケベック州第一言語はフランス語になっています。

現在のアラバマ州モービルは、その領土内の最南東端。フランス領ルイジアナの首都だった時期もありました(1702年-1720年)。

 

そんな経緯もあり、フランス領時代に建築された当時の建築物がダウンタウン内には多く保存されています。

 

町の中心までやってくるとそこには公園もあるのですが、人影はまばら…

やや憩いの場というには程遠い印象で、

 

日の入りとともに閉鎖されるという徹底ぶり…

夜間の治安の不安を抱えていることは間違いなさそうです…

 

この南部の都市のもう1つの顔といえば、

エアバス社の、旅客機最終組み立て製造工場があること。

 

製造がされているのは、ダウンタウンから程近いブルックリー空港内。

 

現在では、北米の航空会社向けの国内線用の単通路型旅客機の製造、最終組み立てラインを所有しています。

 

2016年にはジェットブルー航空に、モービル工場初号機となるA320型機を納入。

2020年以降は、

 

カナダのボンバルディエ社から譲り受けたA220型機の製造も本格化。

 

デルタ航空に新規で納入される国内線用エアバス機はA220型機も含め、全機ここから納入されるようになっています。

 

 

 

次回は、7月にお目にかかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 2024年5月

米国航空会社に勤務する副操縦士、裕坊です。

写真は、裕坊が入社依頼ずっと乗務しているボーイング717型機。

 

元々の開発はマクドネル・ダグラス社で、DC-9型機の派生型の1つです。当初はMD-95型という機種名で市場に投入される予定でした。

ところが初導入になったのは、ボーイング社によるマクドネル・ダグラス社の吸収合併後。そのためボーイングの冠名をつけた上で投入されることになりました。

 

ボーイング717という名称そのものは、写真にある米空軍空中給油機(ボーイング707型旅客機からの改造機)の型式名称だったのですが、

 

米空軍ではKC-135という正式名称が採用され、B717は実質空き番号のような形になっていました。

 

というわけで、ボーイング777型機の市場投入より後になったにも関わらず、

結局この旅客機をB717と呼ぶことになったという経緯があります。ただ生産期間は短く最終生産は2006年。最終生産機ですら機齢は既に18年。客席数がほぼ同じで市場が重なりながら、旅客機としては最新鋭のエアバス220型機などと比較すると、古さが否めない機体になっています。

 

昨年の6月には、ノースカロライナ州のシャーロット空港へと向かっていた機体が、機首脚が降りずにそのまま機首を擦らせた上での着陸などの事象も発生。

事故詳細調査は現在も続いていますが、どうやら機首脚を飛行中上げたままの状態で支えておく留金の金属が一部で腐食していたらしく、機首脚の動きが制限されたいたようです。

 

事故調査こそ一通り落ち着いたものの、その後の修理までの間運用から外れていましたが、

 

既にそれも終わって、路線へも復活。

先日裕坊が担当した、シャーロットからデトロイト行きの機体になっておりました。

 

実はこの日は5日間勤務の最終日。

 

その5日間勤務の中では、テネシー州チャタヌーガに長時間滞在しておりました。

 

人口およそ18万人と、町の規模自体は大きくはないので、空港もややこぢんまりとしています。

 

フォルクスワーゲン社の米国内初の工場をチャタヌーガ市内に抱えていることから、空港内には現地生産の代表モデルであるパサートが展示されています。

 

チャタヌーガの有名な観光地といえば、ルックアウトマウンテン。市内の中心部からだと、車で南西におよそ15分の距離にあります。

山という名をつけられながらも、実際には高所の台地のような地形をしていて、1番高いところでも標高は海抜700メートルほどしかありません。かつて南北戦争の戦場となった歴史もあります。

 

麓からはケーブルカーで “山頂“ へと向かうこともできます。およそ10分ほどで “頂上“ へと到着するケーブルカーの最大傾斜角はというと…

 

72.7度だそうな……

乗車中は、決して車外には出ない方が良さそうです…

 

もちろんこれだけの急斜角ですので、ケーブルカー自体が全区間を自走できるはずもなく、動力源はロープウェーと基本同じ仕組みで、

線路中央に敷かれたロープによる牽引式となっています。

 

お天気の日の頂からの眺めは間違いなく最高で、

 

見晴らしがいい時などは、一度に7つの州(テネシー以外に、アラバマジョージアサウスカロライナノースカロライナ、ケンタッキー、バージニア)を拝むことも可能。

お天気さえ良ければ訪れたかったのですが、

 

あいにく当日は雨のお天気…

市内に留まって、市街地を観光しておりました。

 

チャタヌーガのもう1つの観光の目玉といえば、こちらテネシー水族館。1992年開業当時は、淡水生物のみの展示だったそうです。

現在でも、淡水生物の展示館としては世界最大級。常時使用されている水量、なんと150万リットルにもなるのだとか…

 

奥に見えるのが海洋生物の展示館で、こちらは2005年に開業しました。

 

チャタヌーガ市内の北側に位置し、テネシー川沿いにあります。

 

チャタヌーガといえば、かつては鉄道の要衡都市の1つでもありました。現在はアムトラックなどの運行はありませんが、駅舎は観光名所の1つとして残されています。

 

当時の名残を残す駅舎は煉瓦建て。 厳かな雰囲気は当時のまま残されていて、天井が高さはシンシナティ駅やカンザスシティ駅とも似ています。

 

駅舎の裏側へ行くと、当時の鉄道車両が展示されていて、

 

レストアされた寝台車を使ってのホテルなども営業されておりました。

 

駅舎内は、一部レストランとしても営業されていて、

 

遥々デトロイトから前日に合流した愛妻ちゃんと共に、こちらで夕食をいただいておりました。

 

ここのレストランの売りは、なんと言っても新鮮食材。特に野菜類は産地直送物に限定していて、全てが採れたての新鮮素材。

しかもボリュームがすごく、このサラダなどは1つの注文を2皿に分けてもらった上で、まだこのボリューム。

 

それぞれビーフ丼に、

 

ポケ丼とを注文したのですが、到底食べ切れる量などではなく、

ほぼ半分以上、お持ち帰りと相成りました…

 

満足感の高いこのレストランの名前は、

STIR。面する通りから向かって、右側にあります。

 

別名チューチュー(Choo Choo)とも呼ばれるこの駅舎は、水族館とは反対側で市内の南に位置し、水族館からだと徒歩30分ほど。

 

もしラクに移動したいのであれば、無料で乗車可能な小型バスによるシャトルでの移動がオススメ。

 

車内は向かい合わせで座る仕組みになっていて、市内を南北に結んでいます。

チャタヌーガそのものは、テネシー州ナッシュビル(北米日産の本社が近くにあります)とアトランタのほぼ中間に位置していますので、この2都市間を移動する用事がある時などは、チャタヌーガで1泊2泊してみるのもいいかも知れません。

 

 

 

また6月にお目にかかります。