yuichibow’s blog

ジェット旅客機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊パイロット日記 8/24

米国、小型機専門旅客航空会社に勤める、裕坊と申します。こんにちは。

先週の金曜日から始まっていた4日間のフライトを終えて、月曜日夕方に帰宅しました。裕坊は自動車工業の町、デトロイトにある空港に所属しているのですが、今回の4日間でデトロイトを基点とするフライトが入ったのは、初日の最初の便と最終日の最後の便だけ……

 

昨日3日目までは、親会社のデルタ航空の本社があるアトランタを基点とするフライトが中心でした。

コックピットから見る国内線ターミナルビルに、赤い帯が入っているのが特徴の、アトランタ・ハーツフィールド・ジャクソン空港。

 

今回はコロンビア出身の女性が副操縦士

元テニス選手だそうです。

 

この季節といえば、南部は積乱雲を避けながらのフライト。目に見える単体の積乱雲であれば十分目視できるので、避けるのは比較的容易。ただ針路を変えるためには、航空管制の許可が必要になります。積乱雲が多く上がると、各便とも管制の許可を取ろうとして、無線が混雑して焦ってしまうことも……

これが大陸を縦断するような線状の大型積乱雲ともなると、大きく迂回を強いられることもあります。

 

ハリケーンが近づくと、航空便は多くが欠航……アメリカには、8月24日(月)現在、大型の熱帯低気圧が2つ立て続けに近づいてきているらしく(マルコとローラの2つ)、

南部のニューオーリンズ、ヒューストン付近では、警戒を呼びかけたり、場所によっては緊急事態宣言が既に発令されたところもあるそうです……被害が最小限にとどまることを、願うばかりです。

 

幸い裕坊が担当するフライトには大きな影響はなく、昨夜は夕焼けを見ながらのフライトというご褒美付きになりました。

アトランタからリージョナルジェット機が就航するのは、どこも人口規模が10万人、20万人前後、多いところで30万人といった地方都市ばかり。

 

初日はミシシッピ州のジャクソンで宿泊滞在。

 

厳かな建物が立ち並ぶ、南部を代表する都市の1つ。

 

街の景観もとてもきれいです。

 

 

2日目はPGAツアーのマスターズ・トーナメントで知られるジョージア州オーガスタを往復、

 

往年のゴルフプレーヤーが、一部空港内で展示されています。

 

ラクターの生産量が多いことでも有名な、ジョージア州オーガスタ。

 

 

ここ20年ほどの間に、人口が20万人を超える町へと急成長した、ノースカロライナ州のファイエットビルでも宿泊滞在。

 

小型旅客機しか就航がないファイエットビル空港ですが、コロナ禍以前は需要が伸びてきていたのでしょう。

ターミナルの建物は、こじんまりとしているものの……

 

建物の中は、あちこちが改装中。

 

将来性を窺わせるように、次々と工事が進んでいました。

 

落ち着いた佇まいのターミナル内。

 

空港は1番高い建物の旅客ターミナルですら2階建てで、敷地面積自体も狭いので、

空港管制塔もこじんまりとしています。

 

こういった地方都市での航空旅客需要は、今後の航空業界、少なくともデルタ航空のような老舗の航空会社の行方を占う鍵を握るかも知れません。アメリカの場合、地方都市では対企業の税制優遇措置があったり、工場などの敷地面積が大きく取れる利便性から、名だたる企業の大規模工場が地方にあることも多いです。そのため地方空港ではビジネス利用客の割合が高く、概ね7割がビジネス利用。こういった中小規模の都市での需要が増すのか、もしくは減っていくのか………

 

例を1つ取り上げてみると……ミシガン州西部のカラマズー。この周辺を代表する企業といえば、シリアルで有名なケロッグ社。

本社は、カラマズー市のお隣、バトルクリークにあります。 バトルクリークにはケロッグ社の大きな工場も…

 

ニューヨーク証券取引所にも上場していて、8月24日(月)の終値は69ドル58セント。

これだけの規模の会社ですので、重役クラスは出張などの際には、自社用ビジネスジェットでの移動も可能でしょうが、外部からの本社バトルクリークでの取引自体も多いはず………

 

ところが先日アメリカン航空は、ケロッグ社のお膝元であるカラマズー空港への就航を、1カ月間に渡って凍結することを発表。10月7日(水)から11月3日(火)までの当面の暫定的な措置だそうです。

1カ月間における15都市への就航を一時凍結することを決断したようですが、カラマズー空港もその1つに入ることになってしまいました……ビジネス利用が相当鈍っていることを窺わせる発表だと解釈して、ほぼ間違いないでしょう…

 

7月に入って需要が回復基調になっていたアメリカの航空業界でしたが、感染再拡大とともにあっという間に尻窄みになってしまいました。各航空会社が描いていた、損益分岐点への回帰も、結局は絵に描いた餅……ズームを初めとするオンラインツールが、実はビジネス上多いに役立つことに気づいた企業。出張や対面式での会議の必要性の見直しが行われて、移動を必要とする需要も明らかに激減し、ビジネス利用はここ最近相当落ち込んでいます。地方空港での行き来を見ていると、それは顕著……アメリカの場合は、特に8月以降、頭打ちになってしまいました。

 

ちなみに7月27日(月)の全米での航空機利用者の合計は700,095名。それに比べて8月18日(火)の旅客数は586,718名。夏休みが終わりに近づく8月後半は、平常時でも若干旅客数がやや鈍る傾向こそあるものの、回復基調だった頃と比較すると16%減。9月に入ると、さらに需要が鈍るのは避けられません。 裕坊自身は今回4日間で合計12便を担当しましたが、そのうち40名を超えるお客様を運んだのは2便だけ(76名仕様の小型機に乗務していて、現在の搭乗客数の上限は45名になっています)あとは30名台が2度あっただけで、他の便では20名台か10名台といった乗客数でした。

 

もし今後出張等の需要の回復が見込めず、ビジネス利用の回帰に期待できないとなると、航空会社だけでなく運送業全体、あるいは旅行業界で合併などの大きな動きが出てくる可能性が否定できません。一時的には政府からの助成金などで航空会社が生き延びることは可能でしょうが、それも恐らく2年が限度……それまでの間に、企業が出張や移動などに必要性を感じなくなっていたとすると、航空会社の延命のために血税を注ぎ込むことに反対の動きが出る可能性すらあります。

 

航空会社単体での生き残りが厳しい情勢になるとすると、鉄道やバスなどを含めた運送業、さらにはホテルなどの宿泊施設、ともすると外食産業まで、同様の情勢に置かれるのはほぼ確実でしょう。航空会社と鉄道会社の合併、あるいは航空会社とホテル運営会社の合併、といった今までですと考えられなかった企業あるいは業界同士の合併の模索が始まる可能性が出てきます。

 

歴史上、様々な社会の転換点のきっかけとなった感染症。コロナウィルスも大きな社会の変化のきっかけになりそうな気がしてなりません。

 

 

 

次のフライトまで、数日お休みをいただくことになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 8/23

アメリカの小型旅客機専門の航空会社に勤めている、裕坊といいます。こんにちは。

先週の金曜日に4日間のフライトに出発して、今日は3日目。今回はずっと午後出勤のパターンで、今日は夕方までホテルに滞在しています。この4日間は、アトランタを基点とするフライトが中心。親会社のデルタ航空の本社があるアトランタからの発着便は、長距離から超短距離まで様々なパターンがありますが、裕坊が乗務するリージョナルジェット機は、大半が短距離路線で、行く先は地方都市がほとんど。

 

初日はミシシッピ州の州都、ジャクソンまでやってきて、2日目はお昼過ぎの出発。

ミシシッピ州ジャクソンは平常時であれば、デルタ航空本体がほとんど運航便を担当する都市。

 

空港自体は、若干こじんまりとしています。

コロナウィルスの影響によって、空港管制塔が業務時間を短縮している空港の1つにもなっていて、平常時であれば11時まで運用のところ、現在は午後7時まで。

 

ちなみに空港管制塔がない空港や、管制塔の業務時間外に着陸する時は、自機の機種(リージョナルジェット機やセスナなど)、機体番号(航空会社の場合は、便名)、空港との位置関係、離着陸滑走路などを無線機にて発信。他に離着陸する飛行機などがいる場合は、その飛行機とやり取りすることもあります。初日は夜9時過ぎの到着でしたので、位置情報を何度か発信しながらの着陸となりました。

 

空港内には、コロナウィルス蔓延防止の宣伝も。

 

ミシシッピ州の州都でもあり、南部でも『AAAサザン・トラベラー』誌(AAA Southern Traveler Magazine)によって、ミシシッピ州でも最も素敵な街にも選ばれたジャクソン。とても厳かな建物が立ち並び、煉瓦建ての建物もとても映えるジャクソンのダウンタウンは、景観もとてもいいのですが……

 

昨年裕坊が久しぶりに訪れたメンフィスと同様、ほとんど人の姿を見ることがありませんでした……

 

ホテルの送迎シャトルの運転手さんに言わせると、ここ最近は特に人の動きが少なく、宿泊客数もかなり落ち込んでいるのだとか……

ただ見所自体は多いそうです。特におすすめなのが音楽を中心とする、芸術巡り。その中でもブルース発祥を体験してみるのが、オススメなのだとか。ブルースとは、アメリカ南部に息づく音楽。ジャクソンにて生まれたブルースも数多いそうです。ファーリッシュ通り地区のF. ジョーンズコーナー(F. Jones Corner)やハル・アンド・マルズ(Hal and Mal‘s)などがその代表。

 

街を囲む景観も悪くないです。

 

前回訪れたのがいつだったのか思い出せないくらい、裕坊にとって久しぶりのジャクソン宿泊だったのですが、

時間をかけて、またじっくりと訪れてみたいと思わせる街でした。

 

緑に囲まれたジャクソン空港を出発したのは、お昼過ぎ。

 

3時過ぎにはアトランタへと戻ってきて、

 

平常時であれば、カラシ入りのドレッシングが美味しい鶏肉サラダをいただくところなのですが、

あいにくお休み……開いているお店が限られるので、食べられる昼食も限られてしまいます…

 

各便出発前には、係員が背中にこんな噴霧器を使って、機内を消毒してくれます。

係員がわざわざ背中から下ろして、写真を撮らせてくれました。

 

このノズルから霧状で消毒液を噴霧するそうです。これであれば、効率的な消毒が可能。

かなり細かい霧状での噴霧で、機器類にも影響がないということらしい……ただ保証はせんからな、と笑っておりました…

 

機械類の故障を防ぐため、実際コックピット内は噴霧による消毒は今でも行っていません。ですので、コックピット内の消毒は各自パイロットの役目。消毒用アルコール入りのナプキンで、裕坊たちパイロットは、自ら毎日せっせと吹いております……

 

次にやってきたのは、ジョージア州オーガスタ。

改装が終わったばかりなのか、厳かな雰囲気を残しながらも、絨毯も壁も新しくなっているターミナル。とても気持ちいいです。

 

クラシックな雰囲気の時計台がお出迎え。

 

ここは農産業を支えるトラクターの生産が盛んな町だそうです。

なんと年間でのトラクター生産台数は、100万台以上…

 

ただオーガスタといえば、やっぱりゴルフ。

マスターズ・ゴルフ・トーナメント(Masters Tournament)の開催地にもなっているオーガスタ。

 

オーガスタ歴史博物館(The Augasta Museum of History)には、都市の歴史だけでなく、住んでいた著名人、さらには代表的なプロゴルフプレーヤーについての展示などもあり、その一部が空港内でも展示されています。

現在の展示は、パット、チップ、バンカーショットのマスターとも言われたレイモンド・フロイド(Raymond Floyd)。1992年にはPGAツアーとシニアPGAツアーでの勝利を、年内に達成した初めてのプロゴルファーにもなりました。ちなみにフロイドは、その前年の1991年に、日本の九州志摩カントリークラブで行われた、KBCオーガスタゴルフトーナメントにも参加して優勝しています。

 

オーガスタ空港には、出発待ちの乗客向けの憩いの場があり、

 

こんな中庭を眺めながら、

 

ゆったりとした気分で出発待ちをすることも可能。

空港の規模自体は大きくないので、乗り過ごしをする心配はありません。搭乗が始まったら、係員がちゃんと中庭まで呼びにきてくれます。

 

またも折り返しアトランタまで戻った後、今度は夕暮れの中を、

ブリティッシュエアウェイズのドリームライナーこと、ボーイング787型機に続いての離陸でした。需要減に伴って、英国を代表するこの航空会社からもジャンボ機ことボーイング747型機は全機退役が前倒しすることになって、双発機に全て置き換えが進んでいます。

 

昨日やってきたのは、ノースカロライナ州のファイエットビル(Fayetteville, NC)。

 

ここも空港はこじんまり。

 

フードコートというよりは、大学のカフェテリアといった雰囲気の売店コーナー…

 

あちこちで工事が進むファイエットビル空港。

 

北へとちょっと行くと、かつて空軍基地の1つだったポープフィールドがあり、現在も米陸軍の航空支援隊の基地があるファイエットビル。

1990年代に入ってのファイエットビル市の人口の伸びは凄まじく、それまで6万人にも満たなかった人口は1990年代に入って10万を超え、今では21万人を超える町へと急成長しました。

 

その需要に応えるように、次々と工事が進んでいます。

かつては50名仕様の旅客機だけの就航だったファイエットビル。地方都市の将来を占う都市の1つになるかも知れません。

 

 

3日目の日曜日は、夕方の出発で2便を担当です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 8/21

米国で、小型旅客機だけを扱う航空会社に勤める、裕坊と申します。こんにちは。

1日のお休みを挟んで、金曜日のお昼過ぎに出勤しました。4日間のフライトです。ここ最近は、『「今まで」当たり前だったこと』と『「ここ最近」になって当たり前になったこと』が入り混じることが多くなりました。

 

まずは出勤の時の様子。従業員専用駐車場は、デトロイト空港の南側の敷地にあるのですが、出勤している従業員の数も減っているのでしょう。最近は駐車場はいつ来てもガラガラ。どこでも止め放題。

駐車場からは、専用のシャトルでターミナルへと向かいます。マクナマラ・ターミナルの1番下の階にある国際線到着で、シャトルバスは乗り降り。

 

『今まで』であれば、東京や名古屋だけでなく、上海や北京、ソウルなどへのアジア各都市への直行便、アムステルダムやロンドン、パリなどのヨーロッパからの直行便がたくさん飛んでおりましたので、いつもかなりの賑わいだったのですが、止まる車もほとんどなく、

 

待合コーナーも、今日は人の気配がほとんどありませんでした。

『ここ最近』は、国際線到着では、従業員以外の人をほとんど見ることがありません。

 

ところがセキュリティーを通って、いざターミナル内へと入ると、けっこうな賑わい。到着便が数便重なったりすると、そこそこの人の数で賑わいます。

 

行き交う人の数も多く、『今まで』当たり前だった光景を目にしたかと思えば、

 

『ここ最近』ほとんど動いていない、ターミナル内の電車……今も運休中。

 

トラム運休中を知らせる立札も、『ここ最近』ずっと立ったままになっています。

 

Aコンコース中央にある噴水も、『ここ最近』全く稼働しておりません……

まず1本目はテネシー州のノックスビルまで。

 

『今まで』は夕刻の時間のデトロイト発ノックスビル行きともなると、日本人のビジネスマンの方も良くお見かけしていたのですが……

『ここ最近』は、日本人のビジネスマンはおろか、ネクタイを締めたビジネスマンの姿そのものを長く見ていないです…

 

ちなみに乗ってこられたのは、39名。『ここ最近』は敢えて意図的に空席を残しての運航を実施中。『ここ最近』での基準では、ほぼ満席でした。 2本目はアトランタ行き。

 

旅客利用者数が世界一、さらには発着便数も長らく1位の座を死守している、アトランタへの出発便ともなると、積乱雲が上がりやすいこの季節ですと、『今まで』の基準だと、地上待機を航空管制によって課せられることはザラでした。

今日は搭乗口を閉めた途端に、航空管制によって地上待機が言い渡されました。30分後に情報が更新されると聞いて、とりあえず乗客の方を客席にお座りいただいたまま、時間が過ぎるのを待ちます。『今まで』の常識であれば、ここから30分待機が1時間待機になり、2時間を超えることもザラだったのですが、

 

結果はというと……

 

『ここ最近』は、アトランタへと行く旅客便もかなり減っているので、待機は逆に20分へと短縮になって、定刻からやや遅れて出発しました。ただまだアトランタ付近には、雨雲はたくさん残っていて……

 

とにかく揺れました……

14年、このお仕事をしているのですが、その中でも確実に上位3位に入ってきそうな気がする…… 『今まで』のパターンであれば、確実に2時間遅れのパターン。

 

今日はアトランタには、結局14分遅れでの到着でした。

『ここ最近』旅客便も目に見えて減っていますので、遅延も少なくなる傾向になっています。

 

昨年1年間で1億1千万人を超える利用があった、アトランタ・ハーツフィールド・ジャクソン空港。

『今まで』を思い起こさせるような光景。到着ゲートがD15だったので、コンコースのほぼ中央で、結構な数の人の行き交いを見て、『今まで』のアトランタ空港を眺める思いでいたのですが……

 

やはり全体としてはかなり利用客も減っているのでしょう。

ロブスタービスクが美味しいことで知られる、フィリップシーフードも『ここ最近』ずっとお休みのまま。

 

『ここ最近』は、空港内のレストランを利用される方の数も、はっきり目に見えて減ってしまっています。 フードコートもこの通り……『ここ最近』は、昼間からシャッターを下ろしたままのところが少なくないです。

そして最後の3便目、アトランタ発、ミシシッピ州ジャクソン行き。ややこじんまりとした都市でこそあれ、アトランタ発はほとんどが親会社であるデルタ航空による直接の運航便でした。

 

利用者数が減って、一時的にリージョナルジェット機が就航しています。

こちらのフライトは、迂回もしやすく、若干の揺れこそあったものの、概ね良好な乗り心地…

 

ジャクソン空港へやってきたのは、いつ以来か思い出せないくらい、本当に久しぶりの訪問となりました。

最近連邦政府や州からの助成金が入り、多くの空港では建物が建て替わったり、内装が大幅に改良されるなしてきたのですが、ここジャクソン空港には、昔ながらの佇まいが残っています。

 

遠くに「ジャクソンへ、ようこそ」の看板が見えてきて、

 

到着階へと降りると、既にホテルのシャトルがお迎えに来てくれていました。

シャトルの入り口付近に、赤いカーペットなどを敷いてくれています。

 

今日はダウンタウンまで入り、

 

 

高級な装いのホテルへと到着…

 

かなり揺れた1日だったせいか、皆さんお疲れの様子でした。

至福のひととき……

 

これは『今まで』でも『ここ最近』でも、

心から安らげる一瞬です…

 

 

明日は4本のフライトが入っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 8/20

アメリカの国内線専門に、小型旅客機に乗る、裕坊と申します。こんにちは。

今週月曜日から始まっていた3日間のフライト。3日間合計で担当したのは、4便だけ。最終日の昨日水曜日は、ウィスコンシン州の州都、マディソンからデトロイトまで1便だけ。

 

本当に雲一つない快晴のお天気のマディソン市。96,000本もの木が植樹されている都市とあって、青々とした木が多く、街の景観に彩りを添えていました。

 

午前10時前の出勤とあって、空港入り口付近はガラガラ…

地方都市では、最近でこそ早朝こそそれなりの数の旅行客を見るようになったものの、まだ需要は弱含み……

 

昨日は空港管制塔が背後に聳えているのが見える出発ゲートから、38名のお客様をお迎えしての出発となりました。

 

50分ほどでデトロイトに到着して、任務終了だったのですが……

 

月曜日に3日間のフライトが始まる時に目にしていたのと同じ赤いお札を置いて、家路に着くことに……

コロナウィルスの影響で旅客便数が少なくなっているとはいえ、小型機の離着陸回数も頻度も、太平洋や大西洋をひとっ飛びするような大型機に比べるとどうしても遥かに多くなるので、その分細かい部品の故障は増えてしまいます……

 

故障があったのは、前面ガラスの加熱装置。車にも備えられているデフロスターと、基本的に役目は同じ。

視界を確保するための、ガラスの曇りや霜などを除去するのが主な目的。上空は夏のこの時期でも35,000フィート、およそ10,000メートルまで上昇してくると、外気温はマイナス50度という、到底人間が過ごせる環境にはないくらいに温度が下がるので、曇り除去装置は高高度を飛行するジェット機には欠かせない装置のうちの一つです。

 

ただ夏の暑いこの時期であれば、一旦下降を始めると大気の温度も上がって、仮に窓ガラスに着氷があっても着陸する頃にはしっかりと溶けてしまっているので、問題になることはほとんどないです。逆に冬は外気と機内の温度差も大きくなり、雲の中に入った途端に着氷することもあるので、ガラスの加熱装置の重要性は増してきます。

 

仕組みは、最近の車であれば大抵標準装備になっている、後面ガラスに貼り付けられたデフロスターとほとんど同じ。

 

エンジンの回転を利用して作られた電気を利用して熱を作り出して、その熱でガラスを温める仕組み。構造自体は至って単純。

ジェットエンジンが作り出す回転エネルギーのおかげで、大きな容量の発電も可能なので、ジェット旅客機の場合は、前面ガラス、側面ガラス、全てに加熱装置が取り付けられています。

 

ちなみに訓練用の小型機などの場合は、エンジンの出力が乗用車とほとんど変わらないので、単発のセスナなどになると、窓ガラスの加熱装置が付いていない機体も多いです。双発機にもなると装備される飛行機もありますが、装備されていても小さくなる傾向があり、

小さな窓ガラスだけが温められて、視界を確保することも少なくありません。

 

ジェット機の場合は、風圧に耐えられるように、ガラスは大抵いくつかの層からできているので、その間の層に熱を送り込む仕組みになっていることがほとんど。

 

ちなみに紫色で囲まれているのが、エアバス350型機の加熱装置。

 

裕坊が乗っているCRJシリーズの場合は、ガラスの上の方に装置が付けられているのが見えます。

これは機長席側の前面ガラス。右上に小さく電熱装置が取り付けられてます。

 

この写真は、除氷作業で除氷液がかかった状態で、ガラスが濡れた状態になっていますが、 霜がビッシリと張っていたり、ガラスが曇ったりしている時でも、加熱装置を作動させて10分も経つと、けっこう外はよく見えるようになってきます。

 

これは副操縦士側の側面のガラス。こちらも装置はガラスの上の方の取り付け。

 

副操縦士側、前面ガラス。

この写真は、昨年の春先に撮った写真。ちょっと曇りがかかっていたのですが、加熱装置を作動させて20分くらいで、きれいに視界が保てるようになっていました。

 

離陸、着陸時、あるいは地上で飛行機を滑走路から、あるいは滑走路まで移動させるときは、前面ガラスに備え付けのワイパーも作動できます。速度が遅いときは、雨を全部は弾いてはくれないので、ワイパーを動かして視界を確保。着陸時にも雨天の時には、滑走路に近づいてきた時には大抵作動させます。

ただし離陸時は、速度が上がるにつれて、風圧で雨を吹き飛ばしてくれるので、離陸滑走を始めた段階でワイパーは止めてしまうことがほとんど……

 

ちなみに大抵の旅客機では、側面ガラスが開けられる仕組みになっていて、こんな風に窓拭きをすることも可能……

 

軍用機にもなると視界を確保できないとなると、任務遂行どころではなくなってしまうので、おそらく出発前に入念に窓拭きをされていることでしょう。

 

夏の時期は、虫がガラスにへばりついて視界を遮ることがあるので、側面からガラスが拭けるのはありがたい……

はず………

 

ところが、実はCRJシリーズは、側面のガラスといえども開かない仕組みになっているので、

虫などがたくさんへばりついている時には、地上の係員に応援を頼んで、外から拭き上げてもらいます。係員が脚立に乗って窓拭きの作業をしてくれることもありますが、普段は長い肢がついたモップで拭いてくれるところがほとんど。人の手が見えず、モップだけがガラスを行ったり来たりするので、ショーでも見ているかのような錯覚に陥ります…

 

昨日は整備員が駆けつけてくれたところで、整備記録を渡して、3日ぶりの帰宅。

 

ターミナル内は比較的人で賑わっていたのですが、まだまだこんな風に閑散とした光景に出くわします。

需要回復までには、まだまだ長い道のり……

 

 

昨日は帰宅後、我が息子に急に入った音楽会の練習にお付き合い。

ここ最近デトロイト近郊でも増えている環状交差点が、大の苦手な愛妻ちゃんの運転のお手伝い。この環状交差点、事故軽減にはかなり役立っているそうですので、これからどんどん数は増える傾向にあるようです。

 

 

息子が急にテニスを始めると言い出して、てんてこまいの愛妻ちゃん。思いがけず長年勤めたお仕事を退職することになったのですが、忙しいのは相変わらずのようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 8/18

米国小型旅客機専門の航空会社に勤める、裕坊と申します。こんにちは。

4日間のお休みをいただいて、月曜日から次のフライトへと出かけました。今回は3日間で、初日は夜8時40分発のコネチカット州ハートフォード行きのみを担当。平常時であれば、デトロイトからハートフォードまでは、裕坊が勤める航空会社の親会社、デルタ航空が自ら運航します。ここ最近は需要に呼応する形で、こういった路線でも客席数が少ないリージョナルジェット機での運航が多くなりました。

 

夕方遅い出勤とあって、夕日が沈みかける頃の出勤。駐車場は相変わらずガラガラのまま…

 

デトロイト・メトロポリタン空港、マクナマラターミナルのBターミナルからの出発とあって、夕日が差し込む中を地下へと向かってエスカレーターに乗り、

 

トンネルをくぐります。

 

そしてBコンコースの南端となる出発ゲート、B21へと到着。

 

担当は、デルタ4847便、コネチカット州ハートフォード行き。

搭乗ゲート口を通って、まずは飛行機に乗り込んでみると……

 

コックピットに赤い札………これ、飛行機に何らかの故障が発生したことを示します……

整備記録を開けて読んでみると………どうやら搭乗口のゴムの部分が破損したのか、客室から外部への空気漏れの可能性があったらしい………

 

 

大抵旅客機のドアといえば、

 

プラグ式と呼ばれる密着式。

部品数が多く、構造自体は若干複雑にはなるのですが、客室内と機体の外との圧力格差を利用して、ドアが機体胴体へと押しつけられる仕組みになっているので、気密性が高くなり、上空での巡航中の安定性に優れます。

 

胴体の平面性が保たれて、空気抵抗が少なくなるメリットもあるので、新幹線などでも採用されているのが、このプラグ式と呼ばれる方式。

 

新幹線のように引き戸にしないのであれば、ドアの開閉の際の戸袋などを作る必要もなくなるので、高速バスでも一部取り入れられているようです。

これらのプラグ式の場合は、重整備の時に消耗部品を交換することによって、故障は多くの場合防げるのですが、

 

裕坊が乗務するCRJシリーズの機体の場合は、留め金による機械式。

ただゴムシールドでドア全体が覆われているのは、プラグ式と変わらないので、ドアを閉めた状態ですと、ほとんど見た目に違いは分からないです。

 

これが搭乗口を開けた状態。ボーディングブリッジがなくても乗降ができるよう、階段が備え付けになっているので、重量が重い搭乗口ドア。

そのためにプラグ式にしてしまうと、ドアが機体胴体にかける圧力がとても大きくなって胴体金属の摩耗が早くなるので、機械式になっているそうです。この写真ですと、ゴムのシールド付近に、小さな留め金の受け皿が両側2箇所に並んでいますのが見えます。

 

ちなみにCRJシリーズの場合は、合計で8箇所での固定式。

 

金具の強度はかなりのもので、30年近く運用されているCRJシリーズの機体で、空気漏れによる事例などはほとんどなかったのですが、 応援に駆けつけてくれた整備員によると、つい最近になって50名仕様の機体で与圧装置の問題が起こったということで(6月26日ユナイテッド5071便、コロラド州デンバー発、アリゾナ州プレスコット行き)、裕坊が乗るはずだった機体でも、ゴムシールドの取り替え作業をすることに決めたということでした。

裕坊も与圧装置そのものには影響がない空気漏れがあった飛行機に乗った経験があるのですが、少しでもゴムの経年劣化で空気漏れが発生すると、その部分からの騒音は耳がつんざくほどに大きく、まともに会話もできなくなるので、ゴムシールドの交換はありがたいです。

 

 

ゴムシールドの交換自体には、それほど時間はかからないそうなのですが、交換作業終了後に、一度滑走路のすぐそばにあるエンジン点検の作業場へと移動して

エンジンをかけた上で機内を与圧までしての点検を行わないといけないらしく、かかる時間は最低でも2時間……

 

さすがに2時間は長い……ただ本社の運航管理に電話を入れると、

すぐに担当機を交換してくれました。稼働機体数がそこそこ戻っていて、スペア機材は足りているので、助かりました。

 

そんなわけで、40名の乗客の皆さんを含めて、民族大移動……

 

本来の出発ゲートだったB21から、 ひたすら北へと全員で向かいます。

 

Bコンコースから、そのままCコンコースへと入り、

 

まだまだ歩きます。

着いたのはC25。

 

実際にアップルウォッチで測ってみたら、800メートルも歩いとった……

いい汗をかきました….…

 

出発は定刻より15分ほど遅い8時55分ほどになり、夜遅く10時過ぎの到着。

 

至福のひととき…

 

 

2日目も遅い出勤で、これからミネアポリスへと向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 8/16

アメリカの国内線を中心に、小型旅客機に乗っている、裕坊と申します。こんにちは。

 

今週は4日間のお休みをいただいています。いつもの年であれば、この時期になると、新しい学年度に向けて学用品のお買い物に出かけます。スーパーなどでもそれ専用のコーナーが設けられて、否が応にも新学期への気分が高まってくるのですが……

 

各種文房具が取り揃えられ、

 

バックパックなどのカバン類なども豊富に取り揃えられるのですが……

今年はスーパーに行っても、今一つ盛り上がることがなく……スーパーも、来年度1年間(2020秋から2021年初夏まで)は、オンラインによる学習に絞られる可能性が高いと踏んでいるのかも知れません……

 

我が息子は、この9月から4年制高校の2年生。今年は、コロナウィルスの感染拡大とともに、3月中旬に州の条例によって学校が閉鎖され、その後学年末まで学校が再開になることはありませんでした……それでも自動昇級で、この秋には全員1学年昇級になります。

そして新学年度を迎えるに当たって、学校からのアンケートも先日送られてきました。

 

その内容は、1年間オンラインによる受講にしたいか、

 

それとも、コロナウィルスが終息するのに伴って、州条例の許す範囲内で、通常の校舎での授業に出席したいのか、を問うもの。

 

ただミシガン州でも感染拡大の速度は、決して衰えておらず、 しかも息子くんが通うのは、全米を見渡してもあまり例がない、超マンモス校……

何しろ全校生徒は、合計で6,500名を超えるという超大型校……

 

実は3つの高校を一つの敷地にまとめているので、学生数で見るとほぼ大学並みなのです。

ちなみに、3つの高校のうちのどれに所属するかというのは、住所によってではなく、なんと抽選式……我が子の場合は、昨年のこの時期に訪れた入学申し込みの際のコンピューターによる抽選で、校旗が青色基調の学校でした。

 

ただ3つの学校が提供する授業であれば、どの教科でも選択が可能なので、所属先の学校名というのはあまり意味がないらしいです。休み時間中に校舎を移動することも稀ではないらしく、

休憩時間中は、こんな感じで大混雑するのだとか……

 

私たち親が懸念しているのは、規模が半端なく大きいだけに、仮に全校生徒が通常通り登校し、一ヶ所でクラスターが発生してしまった時のこと………この時は学校だけでなく、地域全体に壊滅的な影響が出ることは間違いないです……そのため学校としても慎重には慎重を期して、9月いっぱいはオンラインのみによって授業が行われることが決まりました。10月以降は州の定めるガイドラインに添い、慎重に判断をした上で、感染なしで安全に授業ができると判断された場合にのみ、校舎を学生に開放しての授業ということになるそうなのですが……

 

現実は、1年間学生は誰1人学校に通うことなく、オンラインのまま通される可能性が大、と裕坊は思っています。トランプ大統領は、仕切りに通常通りの学校運営を求めてはいますが、100名以下の小規模の学校であればまだしも、6,000名を超える学校ともなると、学校としてもリスクは冒せないでしょう。ひとまずオンラインからというのは、賢明な判断だと思います。

 

 

各地で既に大型のイベントは中止になり、花火大会などですらほんのごく一部を除いては中止になってしまいましたが、 周囲の心配や反対をよそに、例年通りのイベントを開催してしまったところも……

ハーレーダビッドソンを乗り回すバイク仲間では知らない者はいないという、サウスダコタ州のスタージスでのバイク祭りがそれ。開催都市の名前が、そのままイベントの名前として浸透していて、スタージス・モーターサイクル・ラリー(Sturgis Motorcycle Rally)と呼ばれます。開催は毎年延べ10日間に渡り、今年の開催は、8月7日(金)から8月16日(日)までの10日間でした。

 

普段は人口が1万人にも満たない、サウスダコタ州ののどかな町、スタージス。

 

空路で駆けつける場合は、サウスダコタ州のラピッド・シティー空港が最寄りの空港になります。

観光地として名高いマウント・ラッシュモアにも近く、スタージスから車で1時間ほどで行けてしまいます。ちなみにこの岩盤に彫られたアメリカを代表する4名の大統領、左からジョージ・ワシントントーマス・ジェファーソンセオドア・ルーズベルト、1番右がアブラハム・リンカーン

 

そののどかな町が、8月の10日間だけ、全く別の町へと変貌を遂げてしまいます。

人口わずか7,000人ほどの町を例年訪れるのは、およそ50万人ほど。最多となった2015年には、なんと70万人の人たちがこの町を訪れました。

 

やってくるバイクの大半は、アメリカを代表する大型バイク、ハーレー・ダビッドソン。

 

通称ハーレーと呼ばれるこのバイクを乗り回す御仁の間では、バンダナなどを頭に巻き、がっしりと鍛え上げた腕にタトゥーを入れ、袖なしの革ジャンを着て、両腕両足を大きく広げて乗るのが、通のスタイルになっているようです。

裕坊が見る限り、圧倒的に多いのは白人。ミシガンの町を走るハーレーを見ていても、その共通のスタイルは貫かれていることが多いです。

 

新聞の記事を読んでいると、

今年は例年に比べてやや人出が鈍く、およそ25万人の人が繰り出すだろうとの予想がされておりました。

 

中には、CDC(アメリカ疫病予防管理センター:Center of Disease Control and Prevention)の指針に従って、マスクを着用している方もいたそうなのですが、

 

大半は、マスク着用による感染防止などという概念はなく……

 

中には、コロナウィルスの存在自体を『見下す』標語を掲げた、Tシャツなどを販売するところも……

 

人出こそ例年の半分ほどには落ち着いたようですが、それでも10日間における訪問客は、25万人……

ニュースを検索したり画像を見たりしている限り、ほとんどの方がマスクを着用しないままでの参加でした。

 

 

これってある意味『壮大な社会実験』……

 

 

ひょっとすると今後のアメリカの将来の鍵を握る、あるいは今後の世界全体までをも占ってしまう、後世にまで語り継がれるほどのインパクトを残すイベントとなるのではないか、と裕坊は注目しています。 単純に1日あたりに換算しても、この小さな町を2万5千人もの人が埋め尽くす計算。

「社会的距離」もどこ吹く風……

 

バーなどにも人が詰めかけ、

 

週末にはライブ音楽が開催されるなど、例年と変わらないイベントが開催されていたそうですので、

 

どう逆立ちしても、大規模感染は避けられないでしょう。そしてその後、感染者たちがどういった経過を辿るのか、そして全米における世間一般の目にはどう映るのか………

 

変遷の早いRNAウィルスであるコロナウィルス、ひょっとすると弱毒化している可能性もありますし、毒性が逆に強くなっている可能性もあります。ブラジルのボルソナロ大統領が言い続けていたように、「ただの風邪」で終わってしまうのか、それとも「やはり人類にとって脅威のウィルスだった」と認識され直すのか……

 

アメリカ国内における世間一般の人たちには、どのように映るのか……ひょっとすると、本来であれば参加したいと思いながらも、参加を思いとどまった凡そ25万人の方達に否定的に捉えられて、「マスクをしない権利」を長らく声高に言い続けてきた保守層の認識をひっくり返してしまうのか、それとも逆に保守派とリベラルの分断をさらに深めてしまうのか……

 

この10日間に渡るバイク祭り、おそらくアメリカでは後世まで語られることになるインパクトを残す気がします。その答えは、2週間後に徐々に現れ始めることになるでしょう。

 

 

要注目です。

 

 

 

 

 

 

 

 

裕坊パイロット日記 8/15

米国で、小型旅客旅客機専門の地域航空会社に勤める、裕坊といいます。こんにちは。

 

今日8月15日は終戦記念日。例年の年であれば、お盆休みの真っ最中で、実家で高校野球を見ながら、正午12時になると甲子園球場ではサイレンが鳴り響き、1分間の黙祷を捧げる時ですが、今年はそれもなし。ある意味、特別な年になってしまいました。

 

 

今年は安倍内閣の中から4名の閣僚が「靖国神社」を参拝したそうです。その中には、2006年の今日、靖国神社を参拝して、物議を醸すことになった元首相、小泉純一郎氏の次男である小泉進次郎内閣府政務官も入っていました。中国や韓国からの反発を恐れて、2013年から首相による直接参拝がない靖国神社。というよりも、ここ1ヶ月公の場に姿をほとんど見せていない安倍首相……ひょっとするとコロナウィルスへの対応の激務から体調を崩しているのかも知れません。

 

靖国神社』と聞くと、日本人的には腫れ物を触るような気分になってしまいますが、幕末以降に国に殉じた246万余もの英霊たちが祀られています。『A級戦犯が祀られている靖国を訪れるのは、日本の軍国主義化の象徴だ』というのが、中国や韓国の言い分。韓国などは、そもそも大戦中は日本の自治下にあり、日本人として戦っていたにもかかわらず……

 

 

『日本人とは、怠けている時よりも、働き、生産している時の方が幸福を感じる人種であります。開戦当初ですら8,000万人という厖大な人口を抱え、生産能力も労働能力も有していた日本、しかし日本には働くための材料がありませんでした。手を加えるべき、原料を手にすることができなかったのです。日本には絹産業以外には、綿もなく羊毛もなく石油の産出はできず、錫もなく、ゴムもありません。実に多くの原料が欠如していました。ところがアジアの海域にはそれらが存在していたのです。

 

これらの原料を絶ち切られたら、1千万から1千2百万の失業者が生じます。彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことでした。日本の製造業に必要な原材料、そしてこれを提供する国々、マレー、インドネシア、フィリピンなどは、事前準備と優位により日本が領土を獲得していました。太平洋上の島々を外郭陣地として確保し、連合国軍がそれを奪い返すためには、多大な損失が生じると思わせることによって、原材料を確保することを黙認させる狙いがあったのです』

 

 

何やら東京裁判における、日本側の釈明の一部のように聞こえますが、これは日本人によって為された証言ではありません。実をいうと、ダグラス・マッカーサー氏によるアメリカ合衆国連邦議会上院、軍事・外交委員会で発された証言そのもの。第2次大戦後、連合国軍最高司令官として朝鮮戦争の際に共産主義勢力と対峙、満州の爆撃及び経済封鎖戦力を取ろうとして、当時のトルーマン大統領と対立して解任され、帰国後の1951年5月3日に開かれた聴聞会で、はっきりと日本の戦争に至る経緯に理解を示しました。日本人は先の大戦を考える時、教科書の中で「侵略戦争」という概念を植え付けられてきましたが、まずはその概念を変える時期に来ていると思います。

 

靖国神社参拝」に関していうなら、中国からの批判に苦慮して、ここ数年は閣僚クラスでも多くが参拝を控えていましたが、「靖国神社」とはアメリカにおける首都ワシントン近郊にあるアーリントン墓地のような存在。アメリカにおけるメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)であれば、ここを訪れないアメリカ大統領はおりません。

 

コロナウィルスの感染蔓延の最中にあっても、今年も例年通り、トランプ大統領は訪れておりました。 そもそも「靖国神社参拝」は国内問題。国の存亡をかけて血を流して闘ってくれた先祖に対して感謝の念を表すのは、むしろ人間として至極真っ当であり、平和主義を唱える方にとっては、尚更訪れる価値が高い場所だと思います。外国にとやかく言われる事ではありません。

 

 

中国や韓国は、過去の歴史から日本は大いに反省すべき、と事あるごとに唱えますが、日本が過去の大戦から「反省すべき」ことがあるとするなら、むしろ大局を見ての外交に徹することができなかった点ではないか、と思います。西洋列強による植民地政策が背景にあったとはいえ、結果的にABCD包囲網の形成で日本は自らを孤立させる結果となってしまいました。アメリカ、イギリス、中国、そして直接利害関係がなかったはずのオランダまでが経済封鎖に加わることになり、資源は底をつき、石油は枯渇。戦略的に戦争へと誘導されていった経緯を、何らかの形で防ぐことができなかったかを、検証する価値はあると思います。実際には、「ハルノート」の内容を読んでいると、この流れを変えることは既に不可能だったのでしょうが……

 

またもう一つ「反省できること」があるとすれば、戦争という手段に訴えざるを得ないのであれば、いかにしてこの戦争を終わらせるか、という「終戦構想」があって然るべきだった、ということになるでしょうか。日露戦争の際には、三国干渉の屈辱から臥薪嘗胆し、入念な準備を整えた上で、終戦までの経緯を想定していたのとは対照に、先の大戦では、全てのシナリオを構想に描かないまま戦争に突入することになっていたようです。特に陸軍の準備がかなり不足していたのだとか……ソ連の脅威を目の当たりにしていたとあっては、致し方なかったのも事実。いかに日本が追い詰められていたのか、当時の書物を読めば読むほど、日本が絶望感に満ち溢れていたのが、ひしひしと伝わってきます。

 

 

そんな中にあっても、先人達は絶望感に打ち拉がれる事なく、精一杯闘ってくれました。日本という国の存亡をかけて、しっかりと闘ってくれました。壮絶に負けることにはなってしまいましたが、その先人達のおかげで、今の日本があり、今の裕坊がある。今日は先人の血を流してまで必死に闘ってくれたことに、心から感謝と敬意を示したいと思います。