yuichibow’s blog

ジェット旅客機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊パイロット日記 5/1

皆さんこんにちは、航空会社サラリーマン、裕坊です。

 

とうとう令和元年を迎えました。

200年ぶりの天皇生前退位による元号の更新。「昭和」から「平成」への改元時と異なり、前天皇陛下が在命のままの改元とあって、心の準備もできていましたし、新しい時代への幕開けとして、裕坊自身も「おめでたい」気分でこの瞬間を迎えることができました。

 

とうとう3つの元号を跨いでしまった……………

 

振り返ってみると、昭和の頃といえば、 航空機に乗る時のチケットといえば、まだ手書きが当たり前の時代……

 

ケータイ電話などを持つという概念はなく、

あっても、黒塗りの自動車に搭載されるくらいが、関の山………

 

通常電話でやり取りをするといえば、家に設置された固定電話。電話番号もかなりの数を、頭の中で記憶していたものです……

 

コンピューターなんてものは、頭がいい人が使うくらいしか、イメージがなく、

今でもよく分からないコンピューター言語を、キーボードで叩いている人を見ては、尊敬の眼差しで見ていた当時……

 

当然コンピューターテクノロジーもコックピットには入り込んでいませんでしたから、航空機も当時は全てがマニュアルで、メーター類といえば、全てアナログ式………

所狭しと、丸い計器がたくさん並んでいます。

 

コックピットには機長、副操縦士の他にもう一名、パイロットと見た目があまり変わらない乗組員が乗務していて………

その乗務員こそ、今ではほとんど見ることがなくなった航空機関士。油圧系統、与圧系統、あるいは燃料計算からナビゲーションに至るまでの様々な役割をこなしていたのが、第3のコックピットクルーでした。

 

 

それが平成に入る頃になると、

 

 

コンピューター技術が大きく、日常生活に大きく関わってくるようになりました…

 

何といっても大きな革命を起こしたのは、平成に入って5年ほどして発売された、ウィンドウズ95。

グラフィカルユーザーインターフェイスGUI)により、コンピューターを一般の人たちに身近なものにし、情報技術の世界に革命を起こしました。

 

ケータイ電話が普及し始めたのも、ちょうどその時代…

裕坊は、製薬会社勤務時代に初めてケータイ電話というものを手にしましたが、最初の頃のケータイといえば通話をするのがやっとで、町の中心を外れてしまうと、画面に「圏外」が表示されてしまうのが当たり前。当時、佐賀県を担当していた裕坊。一旦佐賀市を離れて唐津に向かう道中では、ケータイ電話が使えないという時代でした。

 

そんな時に活躍していたのが、こちらポケットベル……

エレベーターの中にいても受診するという受信力の持ち主……

 

製薬会社時代には、会社支給のポケットベルを持ち歩き、一旦ベルが大きな音で鳴り響くと、急いで探したのがこちら……

何をやらかしてしまったのか、恐る恐る営業所へと電話をかけていたのを、昨日のことのように思い出します…………

 

その頃になると、コンピューターも身近に感じられるようになり、ウィンドウズも95から98、98からMeなどと、次々に新しく更新されて、一時期流行ったのがウィンドウズ XP。

裕坊も、ウィンドウズ XP搭載のノートパソコンを数台所有していて、一台は普通に普段から持ち歩いておりました。

 

ケータイでメッセージを送信したり、メールを送ったりなども当たり前にできるようになり、

 

女性向けのデザインのケータイも発売されて、様々なデザインのケータイ電話を1人一台持ち歩くのが、当たり前になりました。

 

コックピットの中にもコンピューターが同じく入るようになり、

かつて航空機関士が担当していた業務を、コンピューターが処理する能力を備えます。こちらは第2世代と呼ばれるボーイング757型機のコックピット。こちらでは一部にアナログの計器が残っていますが、

 

第3世代のコックピットともなると、計器も一つの大きな画面にまとめられて、パイロットにとって各表示がとても把握しやすいデザインになっています。

これが俗に呼ばれる、グラスコックピット。操縦室内における省力化が進んで、旅客機のコックピット内においては、航空機関士を見ることはほとんどなくなり、完全2名体制による運航が当たり前の時代になりました。

 

画面にタッチしてコンピューターを操作することができるようになると、さらにコンピューターは日常生活に、深く入り込むことに………

 

iPhoneが登場して、それまでのケータイ電話の概念を大きく覆し、

従来のケータイ電話をほとんど変わらない大きさでありながら、メールやメッセージの送信だけでなく、インターネットまでが手元で簡単にできるようになりました。

 

タッチ画面の技術を応用して、タブレットも世の中に普及……

iPhoneの技術を応用して、インターネット検索を身近なものにしてしまったタブレット

 

それは航空機の中にも大きく入り込むようになって、

現在ほとんどの航空会社では、iPadを中心としたタブレットで、マニュアルや空港の情報などを引き出せるようになっています。上の写真は、実をいうと、裕坊が実際にコックピットで使っている、iPadの実物でございます。

 

航空機に搭乗する際も、それまで紙を使った発券だったのが、

 

スマホの普及とともに、インターネットでのフライトの検索、チケットの購入、チェックインの手続き、運航状況などが一目で確認できるようになり、

 

空港での手続きも、本当にスムーズになりました……

 

コンピューターが日常生活に入り込んで、生活を大きく変えた平成時代………

 

 

では「令和」時代は………

 

 

巷では、IT技術、またAI(Artificial Intelligence)とも呼ばれる人工知能が、今現在人間が手作業で行なっている業務の大半を置き換えることになると言われて久しいですが…… 裕坊思うに、これはコックピットにおいても同じことで………

省力化は、今後ますます進むことになるでしょう。

 

既にこのような小型ジェット機では、

 

単独パイロットによる運航は、既に実現……

まだこれらの小型機の場合、通常の操縦や情報入力などは、人間が手作業にて行なっていますが…… 将来的に地上と航空機が、正確に情報をやり取りできるようになると、AIによる完全自動運航は、かなり近い将来実現するものと思います。

将来的に、ゲート出発からゲート到着まで完全自動運航になることを前提に、単独パイロットによる運航は令和時代が終わる頃には、実現しているのではないでしょうか。

 

 

5月は「飛ぶパイロット」になることを決意した裕坊。明日早速2日間のフライトへと出発します。