yuichibow’s blog

ジェット旅客機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊パイロット日記 8/15

米国で、小型旅客旅客機専門の地域航空会社に勤める、裕坊といいます。こんにちは。

 

今日8月15日は終戦記念日。例年の年であれば、お盆休みの真っ最中で、実家で高校野球を見ながら、正午12時になると甲子園球場ではサイレンが鳴り響き、1分間の黙祷を捧げる時ですが、今年はそれもなし。ある意味、特別な年になってしまいました。

 

 

今年は安倍内閣の中から4名の閣僚が「靖国神社」を参拝したそうです。その中には、2006年の今日、靖国神社を参拝して、物議を醸すことになった元首相、小泉純一郎氏の次男である小泉進次郎内閣府政務官も入っていました。中国や韓国からの反発を恐れて、2013年から首相による直接参拝がない靖国神社。というよりも、ここ1ヶ月公の場に姿をほとんど見せていない安倍首相……ひょっとするとコロナウィルスへの対応の激務から体調を崩しているのかも知れません。

 

靖国神社』と聞くと、日本人的には腫れ物を触るような気分になってしまいますが、幕末以降に国に殉じた246万余もの英霊たちが祀られています。『A級戦犯が祀られている靖国を訪れるのは、日本の軍国主義化の象徴だ』というのが、中国や韓国の言い分。韓国などは、そもそも大戦中は日本の自治下にあり、日本人として戦っていたにもかかわらず……

 

 

『日本人とは、怠けている時よりも、働き、生産している時の方が幸福を感じる人種であります。開戦当初ですら8,000万人という厖大な人口を抱え、生産能力も労働能力も有していた日本、しかし日本には働くための材料がありませんでした。手を加えるべき、原料を手にすることができなかったのです。日本には絹産業以外には、綿もなく羊毛もなく石油の産出はできず、錫もなく、ゴムもありません。実に多くの原料が欠如していました。ところがアジアの海域にはそれらが存在していたのです。

 

これらの原料を絶ち切られたら、1千万から1千2百万の失業者が生じます。彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことでした。日本の製造業に必要な原材料、そしてこれを提供する国々、マレー、インドネシア、フィリピンなどは、事前準備と優位により日本が領土を獲得していました。太平洋上の島々を外郭陣地として確保し、連合国軍がそれを奪い返すためには、多大な損失が生じると思わせることによって、原材料を確保することを黙認させる狙いがあったのです』

 

 

何やら東京裁判における、日本側の釈明の一部のように聞こえますが、これは日本人によって為された証言ではありません。実をいうと、ダグラス・マッカーサー氏によるアメリカ合衆国連邦議会上院、軍事・外交委員会で発された証言そのもの。第2次大戦後、連合国軍最高司令官として朝鮮戦争の際に共産主義勢力と対峙、満州の爆撃及び経済封鎖戦力を取ろうとして、当時のトルーマン大統領と対立して解任され、帰国後の1951年5月3日に開かれた聴聞会で、はっきりと日本の戦争に至る経緯に理解を示しました。日本人は先の大戦を考える時、教科書の中で「侵略戦争」という概念を植え付けられてきましたが、まずはその概念を変える時期に来ていると思います。

 

靖国神社参拝」に関していうなら、中国からの批判に苦慮して、ここ数年は閣僚クラスでも多くが参拝を控えていましたが、「靖国神社」とはアメリカにおける首都ワシントン近郊にあるアーリントン墓地のような存在。アメリカにおけるメモリアルデー(戦没将兵追悼記念日)であれば、ここを訪れないアメリカ大統領はおりません。

 

コロナウィルスの感染蔓延の最中にあっても、今年も例年通り、トランプ大統領は訪れておりました。 そもそも「靖国神社参拝」は国内問題。国の存亡をかけて血を流して闘ってくれた先祖に対して感謝の念を表すのは、むしろ人間として至極真っ当であり、平和主義を唱える方にとっては、尚更訪れる価値が高い場所だと思います。外国にとやかく言われる事ではありません。

 

 

中国や韓国は、過去の歴史から日本は大いに反省すべき、と事あるごとに唱えますが、日本が過去の大戦から「反省すべき」ことがあるとするなら、むしろ大局を見ての外交に徹することができなかった点ではないか、と思います。西洋列強による植民地政策が背景にあったとはいえ、結果的にABCD包囲網の形成で日本は自らを孤立させる結果となってしまいました。アメリカ、イギリス、中国、そして直接利害関係がなかったはずのオランダまでが経済封鎖に加わることになり、資源は底をつき、石油は枯渇。戦略的に戦争へと誘導されていった経緯を、何らかの形で防ぐことができなかったかを、検証する価値はあると思います。実際には、「ハルノート」の内容を読んでいると、この流れを変えることは既に不可能だったのでしょうが……

 

またもう一つ「反省できること」があるとすれば、戦争という手段に訴えざるを得ないのであれば、いかにしてこの戦争を終わらせるか、という「終戦構想」があって然るべきだった、ということになるでしょうか。日露戦争の際には、三国干渉の屈辱から臥薪嘗胆し、入念な準備を整えた上で、終戦までの経緯を想定していたのとは対照に、先の大戦では、全てのシナリオを構想に描かないまま戦争に突入することになっていたようです。特に陸軍の準備がかなり不足していたのだとか……ソ連の脅威を目の当たりにしていたとあっては、致し方なかったのも事実。いかに日本が追い詰められていたのか、当時の書物を読めば読むほど、日本が絶望感に満ち溢れていたのが、ひしひしと伝わってきます。

 

 

そんな中にあっても、先人達は絶望感に打ち拉がれる事なく、精一杯闘ってくれました。日本という国の存亡をかけて、しっかりと闘ってくれました。壮絶に負けることにはなってしまいましたが、その先人達のおかげで、今の日本があり、今の裕坊がある。今日は先人の血を流してまで必死に闘ってくれたことに、心から感謝と敬意を示したいと思います。