yuichibow’s blog

リージョナルジェット機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊パイロット日記 5/26

アメリカの航空会社で、小型旅客機を操る裕坊といいます。こんにちは。

コロナウィルスの影響を非常に大きく受けている業界の1つ、旅客航空業界に勤めること14年目、かつてない需要減に見舞われて自宅で過ごす時間が大幅に増えています。

 

先日は51歳になり、お天気にも恵まれて我が家でバーベキューをしてみたり、

バーベキューソースでしっかりと味を染み込ませたロース肉の炭火焼、もう堪りません……

 

息子作のケーキに舌鼓を打ってみたり、

特に親バカではありませんが、小さい頃から作り慣れているだけあって、息子くんは市販のケーキにも負けない味のケーキを作ってくれます。ただしケーキを切った後は、いの一番にケーキを口に含んでおりました……

 

誰の誕生日なのかなぁ〜〜……

 

ここ数日は、急に気温が上がって夏のような陽気のデトロイト地方。

朝から快晴のお天気の中、今日はちょっとお買い物。ここではこだわりの食材が、たくさん手に入ります。

 

従業員さんやお客さんの扱いも、とても丁寧なこちらのお店。

入場制限をしていて、皆さん2メートルずつの間隔を保って、順番待ち…

 

マスクの着用をお願いする看板も…

 

2メートルの間隔を示すテープも、しっかりと地面に貼られておりました。

徐々に外出規制の緩和も始まっていて、デトロイト地方でも外出する方の数は多くなっています。高温多湿下ではウィルスは活性が弱くなるという医学界の常識が、コロナウィルスにも当てはまるのであれば、しばらくはひと息つけるはず…… ただ高温多湿による影響が科学的に証明されたわけではありませんので、これからも引き続き対策はしっかりしておこうと思います。

 

マスク着用に手洗い、うがい……手洗いの際、指先が意外なほど汚れたままになっているそうですので、指先をしっかりと洗いましょう。

 

 

そして昨日5月25日。5月の最終月曜日。アメリカではメモリアルデー(Memorial Day)と呼ばれる「戦没将兵追悼記念日」。元々はアメリカを二分した南北戦争戦没者を追悼する行事「デコレーションデー(Decoration Day)」として始まったアメリカの祝日で、現在では第二次世界大戦朝鮮戦争ベトナム戦争など、アメリカがかつて闘ってきた戦争の戦没者を広く追悼する祝日として制定され、1971年から現在のように5月最終月曜日が祝日として、制定されました。

 

例年ですと、メモリアルデーには盛大なパレードがあちこちで行われますが、今年は多くの都市でパレードは中止になっていて、アーリントン墓地(バージニア州アーリントンにある、国立の戦没者慰霊施設)において、トランプ大統領も参加してのセレモニーが行われたくらいでした。

メモリアルデーは、1968年に可決された月曜休日統一法(Uniform Holiday Bill)により、月曜日が休みになるように調整された祝日のうちの1つで、毎年週末が3連休になるのでピクニックや小旅行に行く人も多いですが、そもそもはアメリカという国を守るために闘った戦士たちを供養する日。

 

アメリカにおける兵士の役割とは、長い闘いの中で、自由というアメリカ国民の恒久の権利を勝ち取ってきた主役、という概念が深く根付いていますので、今も兵士に対する尊敬の念が非常に高く、空港内でも現役、退役兵士をお迎えする特別のラウンジなどが用意されていますし、

一般航空会社の旅客便に搭乗の際には、優先搭乗なども実施されています。

 

現役兵士に対する感謝や労いの言葉をかけるのは、普通に生活していてもよく見かける光景。

これらの光景を見るにつれて、現役兵士、かつての兵士問わず、国を全力で守る人たちへの感謝の気持ちが伝わってきます。

 

 

日本は第二次世界大戦後に、7年間日本を占領した連合国軍総司令部によってかなりの情報統制が敷かれた上に、連合国軍にとって都合のいい内容が歴史教科書に載ってきましたので、教科書からだけでは真実が全てが知らされていないのが現実。学生時代はあまり歴史に真剣に向き合ってこなかった裕坊ですが、最近は教科書からだけでは知ることができない事実にも、目を通すことを心がけるようにしています。

 

戦後のリーダーで、裕坊が尊敬する首相の1人といえば…… 第58代首相、池田勇人

戦後の経済復興の立役者。「国民の皆様が真面目に働けば、10年で月給を2倍にします」という公約を掲げ、高度経済成長を成し遂げた、日本の復興の主役を担った方です。もちろんそれには、緻密な理論に基づいた大前提もありました。

 

1つ目は、対アメリカ通貨1ドル当たり360円という固定相場制を堅持したこと。日本製品を対アメリカ向けに安く販売することができ、輸出額が大幅に増え、アメリカ市場は日本製品で席巻されるようになったそうです。

2つ目には、日銀による公定歩合変動をさせず、政府による公定歩合の主導権を握り、金利を低く抑えることによって企業による設備投資を促進させることにも繋がりました。

 

企業がお金を借りて設備に投資 → 投資によって恩恵を受ける関連会社が出てくる → 商品の質が上がり、商品の売れ行きが上がり、企業が儲かる → 企業、関連会社に勤める社員の給料が上がる → 社員の家計に余裕が生まれ、安心してモノを買うようになり、消費が増える → 企業が儲かり、次の設備への投資を始める

 

この流れで好景気の波に乗った日本。公約の中では池田首相は7%の経済成長率を目指していましたが、結果は首相在任中の経済成長率、最高で13%を達成。10年で達成すると公約していた所得倍増計画、なんと7年での達成になったそうです。

 

ただ、所得倍増計画が達成された時、すでに池田首相はこの世にはいませんでした。昭和39年(1964年)、東京オリンピックを花道に主将を引退。実は癌を患っていてのことだったそうです。その池田勇人が本当にやりたかったこととは、何だったのか……

 

秘書の伊藤昌哉氏に言わせると、池田勇人は引退後、全国行脚をしながら青年教育をしたかったと言います。自らは自衛隊政策の中で、戦車や軍艦、飛行機の導入などを果たしてきました。その池田勇人自身がどうしても達成したかったのは、憲法改正、その根底にあるのは自衛隊ではなく、自らの国を自らの意思で守ることができる軍隊の設立にあったといいます。

 

国防できる軍隊の設立を目指していた池田勇人は、第二次世界大戦で戦死していった兵士たちに対する尊敬の念を忘れることはありませんでした。ほとんど語られることがありませんが、実はアメリカのメモリアルデーに相当する「全国戦没者追悼式実施要項」が閣議決定したのは、池田勇人が首相在任中の1963年5月14日。同年から8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式も行われるようになり、8月15日が終戦記念日と定められました。(現在では1982年の鈴木善幸内閣の閣議決定で、戦没者を追悼し平和を祈念する日として、平和祈念の文字が加えられるようになっています)

 

この年初めて靖国神社で行われた、全国戦没者追悼式の日。池田勇人は式辞の中で、こう述べています。 「戦後我が国の文化と経済の著しい発展は、その底に祖国の栄光を確信して散った多くの人々の願いがあったことを忘れてはならない。我が国の平和と繁栄は、戦没者尊い犠牲の上に成り立って、築かれているのです」

 

 

この名言を、日本人としてしっかりと胸に刻んでおきたいと思います。