3月の佳境のスケジュールを控えて、戦々恐々とするリージョナル航空社員、裕坊と申します。こんにちは。
先日6日連続に渡るフライトを終え、今月唯一のまとまったお休みをいただき、3月は2週目以降は怒濤のスケジュール。そのうちの数日は、自ら休日返上して入れたフライト……昼夜問わず仕事に勤しんでいた父親の血を、しっかりと引き継いでおります。
ただ、トランジスタにトリニトロンと、当時の画期的なテレビ技術で世界の最先端を行っていた父親の自慢の技術開発屋の血は、残念ながら微塵たりとも引いてはおりません…………
息子の自分が言うのもなんですが、父親は数学の才能は明らかに抜きんでておりました。微分積分がちんぷんかんぷんだった高校時代の裕坊。父親にその基礎をしっかり叩き込まれて、なんとか赤点を逃れるていたらく………
父親は大学時代は、その当時流行っていたボーリングや、フォークソング、テニスなどに明け暮れ、通常の数学の授業などは一度も出たことがなく、試験の会場すら知らなかったらしいです。それでも数学の成績は、工学部(某旧帝大)でもいつも一番手だったらしい………同級生の方が、数学の問題が分からなくて、よく試験前に父親のところに聞きに行っていたそうですので、あながちただの自慢でもなかったのでしょう……
そんな才能、何か1つでいいから欲しい……………
その後、父親は某電機メーカーを志半ばで退社して地元へと帰り、祖父の家業だった薬局を引き継いで、40代後半からは薬局経営に勤しんでおりましたが、息子の自分から見ていても、自らの才能を明らかに発揮できずに潰してしまっておりました。残念ながら、率直に言って企業経営のセンスはなかった………もっと技術屋として輝いていて欲しかったなぁ………父親は既に6年前、間質性肺炎で他界してしまいましたが、今でもそこは心残りです……本人は生前悔いがない人生だったと言っておりましたが……
裕坊にはそんな人と違う才能などは、欠片も微塵もなかったくせに、小学校4年生の頃から塾通いだけはしていたとあって、中学・高校は私立の中高一貫教育の学校へと通いました。1つには荒れに荒れていた、当時の公立中学校を避ける意味合いもありましたが………ただ通った学校は、当時は男子校(現在は共学となりました)…………女子のいる学校に行きたくて行きたくて仕方なかった、高校時代の裕坊。女子の多い理系の学部をよくよく探してみると………
薬学部がどこも、女子の数では抜きんでている………………………
実家が薬局関係だったから、その流れで薬学部に行った、なんてのはあくまでタテマエ………………
女子の数だけをモチベーションに、一浪までして受験勉強。晴れてとある私立大学の薬学部に合格となり…………
ただ正直告白しますと、裕坊の母校の薬学部は、当時は薬学科と製薬化学科とに分かれておりまして…………… 製薬化学科は、男子のみ…………
入学願書に、「もし薬学科に不合格となった場合、男子であれば、点数さえ達していれば製薬化学科に入学が可能になりますが、それを希望しますか」との項目に×をしたのは、言うまでもありません………
晴れて第一希望の薬学科に入学、成績表は赤点だらけながらも、無事4年で卒業…………成績は毎年ヒヤヒヤものの、超低空飛行。雲底が低い中でも有視界飛行を保つ、ブッシュパイロットと呼ばれるパイロット中のパイロットもビックリの超低空飛行。追試は、日常茶飯事のように、受けておりました………
今でもたまに、追試の勉強に追われる夢を見ることがあります…………………………
よく4年で卒業できたもんやわ……………… (ちなみに、現在では薬学部は、全て6年制となっています)
前置きがかなり長くなってしまいましたが、実を言いますと今年は裕坊の母校の同窓会。4月の大型連休前に予定されているのですが、果たして……………それをモチベーションの1つにして、休日返上のフライトも入れていたのですが………ひょっとして、もう中止が決まってしまったかも…………
ただ老後に向けて、貯金が絶対的に足りないことには変わりがないので、フライトが頑張れるうちは、頑張ります…………
現在話題を席巻している、世界的に拡大を続けているコロナウィルスの感染者は、3月7日時点でとうとう10万人を超えてしまいましたね。対岸の火事として楽観的に見ていたアメリカでも、シアトルで感染者、死亡者が出てしまったことから、風向きが全く変わってしまいました。
さらには、日本の対応が杜撰で後手後手だったとして、各国マスコミの批判を買うことになったクルーズ船への対処。横浜港に寄港した「ダイヤモンド・プリンセス」と同じ、「プリンセス・クルーズ社」が管理する「グランド・プリンセス号」が、カリフォルニア州沖で、接岸を拒否されて沖合に停泊中(3月7日現在)。その対応ぶりを見ていると、結局は横浜港での「ダイヤモンド・プリンセス号」に対する日本の対応とほぼ同じようになっているようですね。
日本の対応が遅く、「船内における感染が拡大した」との批判が世界中で渦巻きましたが、結果的には日本の医療チームは、最大限できる対処はしたのではないか、と裕坊は思っています。3,000人を超える乗客乗員を、一度に隔離して収容できる施設などありませんし(野球場やサッカー場などに仮設テントでも設置していいというのであれば、話は変わるかも知れませんが、そうなるとインフルエンザや風邪など一般的な冬の感染症を蔓延させて、事態を悪化させる恐れが生じます)、検査キットもままならない状態であれば、船内に留まらせておくことは、あながち誤った判断ではなかったのではないか、と思います。
事実イタリアでは、7,000名を超える乗客乗員を2名の感染者だけを隔離して、他の方たちを下船させることを決断。どこまで因果関係があるのかは分かりませんが、イタリア国内での感染者が4636名(3月7日時点)、対して日本の感染者が414名(同じく3月7日まで)に留まっているところからすると、日本医療チームの努力は数字上は報われた、と言っていいのではないか、と思います。中には、クルーズ船内の検査、治療に当たった方の中から感染された方もいらっしゃったようですから、しばらくゆっくりと静養していただきたいです。
土曜日、もう1日お休みをいただいて、日曜日からフライトへと出発します。