yuichibow’s blog

ジェット旅客機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊パイロット日記 3/30

皆さんこんにちは、リージョナル航空会社社員、裕坊です。

一昨日に5日間のフライトを始めて、今日は3日目。怒涛の2日間を終えて、今日は中休み。テキサス州サンアントニオで、連続30時間、2夜連続の宿泊で、今回はダウンタウン近くのホテルに滞在。テキサス州でも2番目の観光地で知られるサンアントニオを散策してきました。

 

サンアントニオといえば、『アメリカのベニス』とも呼ばれるリバーウォークが何といっても目玉。幸いホテルのすぐ横から、リバーウォークへと降りられるので、そこからお散歩……

 

元々の開発の契機になったのは、実は1921年に起こったという大洪水だったらしく、

 

市内に甚大な被害をもたらしたために、サンアントニオ市議会はこれを機に、

 

治水、灌漑の整備を推進した、ということらしいです。こちらがリバーウォーク全体の案内版……

但しこの地図だと、右側が北を指しているので、ちょっと見づらいかも……

 

ここサンアントニオには、他にも見どころがあるので、ちょっとリバーウォークを離れて、上へと登ってみました。

 

上へと上がると、ダウンタウンを見学できる、ロンドンバスを思い起こさせるような2階建てバスも………

ほんの少し歩いて行くと、白い建物が目の前に……

 

アラモの闘いの拠点ともなった、アラモの砦。

元々は地元民をキリスト教に改宗させる為に、1718年にスペイン神父によって建立された修道院だったらしいです。1724年のハリケーンで、現在の位置に移転。

 

やがて修道院としての役目を終えた、アラモ。

 

メキシコのスペインからの独立後、テキサスにおけるメキシコの独裁政治に対して、テキサスの自治権を求める機運が高まるようになり、テキサスは義勇軍を結成。1835年12月にメキシコ軍を破り、アラモを奪って、そこを拠点にしたそうです。

その戦果を聞いたサンタ・アンナは怒り狂い、メキシコは4,000人からなる大軍をサンアントニオに送り込んだそうです。そこから始まったのが13日間に渡るアラモの闘い。

 

189人からなる義勇軍は、完全劣勢を強いられながらも、大善戦。

最後は敗れてしまったものの、メキシコ軍は甚大な被害を被ったそうです。その後、予想以上のダメージを受けたメキシコ軍は、アラモの闘いから46日後、ヒューストン将軍率いるテキサス軍に壊滅させられ、これによりテキサスは独立、「テキサス共和国」が誕生することになりました。(その9年後には、テキサス共和国アメリカ合衆国に併合)

この分厚い壁が、その当時の激しい闘いを思い起こさせます。

 

こちらはクロケットホテル。アラモの闘いで命をかけた、189人の志願兵のうちの1人、元テネシー州下院議員「デイビッド・クロケット」に因んでいます。

 

そのすぐ先には、クラシックな装いのメンガーホテル。

 

昨夜、裕坊が乗っていたシャトルバスの目の前を通り過ぎた、シンデレラ馬車の姿もありました。

再びリバーウォークへと入り、

 

ダウンタウンの南東の端にある、タワーもちょこっと眺めたりして、

 

今度は一路、西を目指してみました……

 

ガイドブックなどにもよく載っている、目抜き通り。

こちらは、いくつかに分かれている水路の交差点。

 

そこをひたすら西へ西へと歩いて行くと……

 

こちらがほぼ西の水路の終点……

 

ゆったりの雰囲気のカフェの横を通り過ぎて、

 

通りを歩いて行くと…………

なんか、空の色と同化して見える………

 

ウケを狙っているのかも知れん…………

 

さらにダウンタウンを西の端まで歩いて行くと、そこにあるのは………

 

メキシカンマーケット…

名前はマーケットスクエア…スペイン語では「エル・メルカド」というそうです。

 

実はテキサス州内の、最大規模のメキシカンマーケットなんだそうです。

リバーウォークやアラモの砦では、ほとんど英語しか聞こえてこなかったのに、ここはまさにメキシカン………

 

聞こえてくるのは、ほとんどスペイン語…………

 

同じ町の中とは思えないくらいの変わりよう……

 

タコスなどの露店なども、出ておりました。


こちらが、「エルメルカド

 

中へと入ってみると………

メキシコやわ〜〜……………

 

さらに西へと歩いて行くと……

 

また別のマーケット。こちらは「マーケット・プラザ・ショップス」となっておりました。

 

こちらもお土産屋さんがいっぱい……

 

アメリカの中では、比較的歴史も長いサンアントニオとあって、古い教会などもあります。

 

こちらは裁判所。この建物にも、趣があります……

 

そしてまたしても戻ってきた、リバーウォーク……

 

そのあとはひたすら、水の奏でる景色を、存分に楽しみました。

 

1929年に着工したというこのリバーウォーク………

 

一帯には商店も建てられ、新たな中心街になっていたらしいのですが、

 

モータリゼーションによる市内の空洞化が一時は顕著になって、

 

しばらくはゴーストタウンになり、浮浪者の溜まり場になっていた時期も、あったんだそうです。

 

事態を重く見た市は、1963年に再開発のマスタープラン、『川の遊歩道(パセル・デル・リオ)』計画を打ち立て、再生に取り組んだのだとか……

 

1968年には「サンアントニオ国際博覧会」も開催されて成功。

 

全米からの関心を集めるようになり、その後はレストラン、コンベンションセンター、劇場、ショッピングモールなどが相次いで建設されて、文化的拠点にもなったらしいです。

 

このリバーウォークの中でも目抜き通りといえば……

 

この地図でいうと、ちょうど3つの水路が合流する地点から、北へと上った通り。

 

数多くのレストランが点在し、川の流れを楽しみながら、ゆったり気分でお食事をすることも可能。

 

中にはメキシカンミュージックを聞かせてくれるサービスがあるところも……

 

ゆったりとした流れの中で、ゆったり気分で川下りなどもできます。

 

船の色も、色とりどり……

 

その船が行き交う姿を目に焼き付けながら……

 

再びホテルまで、戻ってきました……

 

本当は夜のリバーウォークの写真も収めたかったのですが、明日はまた3時起きですので、またそれは次回………

 

明日はミネアポリス経由で、こちらも川がある町、オハイオ州シンシナティを目指します。