yuichibow’s blog

ジェット旅客機の操縦席から外を眺めるお仕事をする人の日記

裕坊パイロット日記 6/10

皆さんこんにちは、航空会社フラリーマン裕坊です。

今日から元々入っていた4日間のフライトへとお出かけ。霧雨の中を空港までやってきて30分ほど車の中で心の準備。

昨日と一昨日、一緒に飛んだ副操縦士は2人とも若いパイロット。経歴が裕坊にとても近く、一通りのライセンスを取得したあとは2人ともフライトスクールで飛行教官をしていたそうです。飛行教官ならではの、こんなことあんなことあったよね、の話に花が咲きます。まだ先が長いその若いパイロットたちが見据えるのは当然のことながら、デルタやユナイテッドなどの大手の航空会社。いずれは大型国際線機材にきっと乗務していることでしょう。

そして今日から4日間は裕坊の正規のスケジュール。入社してちょうど1年になるというのトーマス氏が今日からの4日間の裕坊の相棒、副操縦士。いろいろ話を聞いていると、裕坊の5歳年上のトーマス氏、前立腺がんの治療をやっている真っ最中とかで、その治療を先々週受けてきたばかりだと言っていました。他人事じゃないし……………裕坊もいっぺんガン検診受けた方がいいやろか……………………………

聞くと長らくミネソタ州のとあるチャーター中心の航空会社の航空機関士として飛んでいたのだそうです。30年ほど前の旅客機といえば操縦席では3名体制による運航が中心。機長、副操縦士に加えて航空機関士と呼ばれる各機械の系統を監視し、必要に応じて調整をするという、横を向きながら飛ぶ機械専門の管理役。こんな機械やメーターと常ににらめっこしながら、飛行機の安全運航の重要な役割を担っていたのです。

今から30年前、40年前の旅客機であれば、ほぼ例外なくどの機体にも航空機関士は乗務していました。トーマス氏が勤めていたという会社での使用機材はボーイング727全日空でも採用されていた機体なので、以前は日本でもよく見かけていたものです。

旅客機の世界でも機械化、特にコンピューターによる監視装置の採用が進み、燃料系統、油圧系統、与圧系統といった航空機関士が専門としていた領域の自動化が進みます。象徴的なところでは、アメリカの航空会社がこぞって採用していたマクドネルダグラスのDC−10。主翼の下に2つ、さらには垂直尾翼の下にもう一つのエンジンを積んだ3発機。この機体もやがては自動化の波が訪れて、ほとんど同じ外観でありながら全く中身が一新されたMD−11という新型の機体へと置き換えが進みます。

こちらは丸いメーターをたくさん積んだ旧式のDC−10の操縦席。

そして自動化が進んだMD−11の操縦席がこちら。大きなスクリーンに計器類がまとめられ、今まで航空機関士に委ねられていた機械系統もほとんどが自動化され、それをモニターする計器類がスクリーン内にまとめられることになります。

航空機関士の活躍する場面は次第に減ることになり、旅客機の操縦席は2名体制へと移行が進んでいきます。多くの会社では航空機関士パイロットへと再養成したり、他の部門へと転身させるなど航空機関士の数を減らしていきます。

トーマス氏の勤めていた会社では、一貫して航空機関士を必要とするB727を使用機材としていたそうですが、最新の機材と比べるとエンジン騒音が大きく、その騒音の大きいエンジンを3基搭載、さらにはメカニズムが古くて燃費効率がとても悪い機体だったこともあり、その活躍の場を減らすことになります。チャータービジネスを大手航空会社へと奪われることになったトーマス氏所属の会社はやがてはビジネスの機会を失うことになり、2008年5月31日をもって会社が閉鎖され、航空機関士としての職を失うことになったのだそうです。

その後チャーターを中心とする会社をコネを使いながら転々とし、最近になって取得したというパイロットのライセンスを片手に旅客航空会社にパイロットとして戻ってきたのが昨年6月だったのだそうです。長らく機械を扱う仕事を専門にしているだけあって、さすがに機械の知識にはかなり長けていました。ミシガン生まれのミシガン育ちのトーマス氏。航空機関士時代の話になると懐かしそうにしている目がとても印象的でした。

今日は3本のフライトを担当してニューヨーク州のサラキュースで宿泊滞在。明日は4本のフライトを担当。お昼前から飛び始めて夜の10時過ぎまでビッシリのスケジュール。

そろそろ横になります。

 

裕坊